2007年6月30日土曜日

 

薬の代わりの名前の分からない実


家の前の大きな木にたくさん、さくらんぼのような実がなっています。食べると、渋くて全然おいしくありません。
これ、痔などの病気に効くらしく、薬として食べるとトルコ人の人に教えてもらいました。
私がこの実を採ろうとしていると、通りがかりの人が、黒海地方の植物なのよと教えていってくれました。
でも、この植物の名前、何ていうの?と聞くと、トルコ人の人も、知らないというのです。

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bebekでお茶。Happily Ever Afterにて



bebek(ベベッキ)はおしゃれな海岸沿いの素敵な場所です。

(ベベッキというのは、トルコ語で、赤ちゃんという意味。また、お人形のことも、ベベッキと言います。)

今日はこの店でお茶をしました。

室内もヨーロッパ調。

ここで、「油なしバナナシェイキ」(11ytl)なるものを頼んで飲みました。

いいひとときでした。

ベベッキの海側にあります。 degdetoasa cad. 0212-263-4128

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トルコ料理 Mücver ~~てんぷら ジャン!

てんぷら じゃん!関西でてんぷらと呼ぶお料理を食べました。海辺(アイバルックのキャンピングビーチ)のレストランのガラスケースに並んでいました。
醤油があれば、最高な感じでした。
家に帰ってトルコ料理の本でみると、ちゃんと載っていてました。
住んで4年になるのに、今まで全然知らなくて、はじめて、食べた料理でした。
今度、自分で作ってみます。

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2007年6月29日金曜日

 

選挙

トルコに住んでトルコのことを書くなら、選挙のことは避けられないと思いながら、難しくてずっと書けませんでした。今度7月22日に選挙が行われて、人々の話題にもよくあがっています。
今日も話題になっていました。
今日も、「どこの党もよくないから、とても迷っている。でも、白紙で出すと、AKP党になる。そしたら、宗教色が強くなって、例えば、女性がスカーフを被るように指導されたりするようになる、それも、嫌だ。」
と話をしているのを聞きました。

2007年6月28日木曜日

 

スイカ


スイカを買いました。暑いもんね。最近。イスタンブールのブリティッシュスクールは暑さを理由に休校になっているそうです。テレビでも、テロップで、「妊婦さんと身障者は、仕事に行かなくて良いです。」というようなことが出ているらしい。(私は、確認してないんだけど。人から聞いた話です。)
すいかはあちらこちらで山積みで売られているんだけど、冷蔵庫に入らないようだし、丸ごとしか買えないようなので、敬遠していました。
今日はお友達と、スーパーの野菜果物はかり担当の人に、半分にしてねと言って、切ってもらいました。半分で400円くらいだった。
日本よりは、安い、よね?もう日本の暮らしのある部分は、分からなくなってきている私ですが。
「日本では、すいかは、金のように高いんだろ。」と店の人に言われました。
今の季節、ももは甘いし、さくらんぼは食べ放題だし、びわも出ています。果物が豊かです。

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オルタキョイで東洋料理のごちそう

こんな素敵な景色を見ながら、ごちそうをいただけます。オルタキョイの海沿い。写真は魚介のサラダ。他にも本格グリーンカレー、たこのカルパッチョ、カリフォルニア巻きなど、いただきました。 そうそう。焼きそばも。トルコでは、めずらしく、とてもおいしかった。(他で食べると、いつも全然味がないのです。)
オルタキョイ・モスクの前から、もうここのテラスが見えていました。

おまけ
ここから出る船は、1時間でボアズ海峡を行って同じ場所にまた戻ってこれるので、気軽な船観光にお薦めです。
また、私は一度も入ったことがないのだけれど、このオルタキョイモスクの中に入ることもでき、きれいだという話です。

店の名前 banyan cafe(バンヤン・カフェ)
http://www.banyanrestaurant.com/

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2007年6月27日水曜日

 

アネットホテル(アイバルック)

アイバルックのホテルに選んだのは、アネットホテルでした。最初にいうと、他の日本人の人には、一般的には薦めません、
でも、私は、気にいったし、感じもよく、また行きたいなと思いました。
オーナーさんはドイツ人女性で、折り目がみえるような、きちんとした性質のみえる方だと思いました。
着くなり、はいはい、クーラーの空気が逃げるから戸を閉めて!子供たちが、玄関近くの棚にある卓上ゲームを触るだけでも、「おもちゃじゃないのよ」
彼女はいつも、正しいことを言うだけで、冷たいわけではないです。玄関の横では、甘い果物を着くなり、もりもりいただき、冷蔵庫につめたい水があるから、いつでもあけて飲んでいいからねと言いました。

翌朝、ひょんなことで、トルコ人ギュルセンと彼女(アネットさん)のかかわりがおもしろかったです。
長足を庭でとっていると、猫がやってきました。
ギュルセンはきゃあと言って、猫にチーズを投げました。
もう猫が来て怖いわと言いました。
アネットさんは、猫の場所と朝食の場所を分けたいから、えさをあげないでねと言いました。
ギュルセンは、そう、私もそう思う。私も怖いからえさをやったのよと言いました。
ギュルセンは、言うなら最初から言っておいてくれるべきだし、えさをやらないでというのも、「私たちはあげないから、そのようにお願いできる?」と言うべきだと言いました。
私は、おもしろいなと感じました。
私は、ドイツ人の合理的な感じを気持ちよく感じていましたら、感触がああ、やっぱりトルコ人じゃないと°同時に感じていました。
うまく説明できないな・・
トルコ人ってはっきりものを言うし、ときどき、わがままかなと思うくらい自分を主張するけれど、
ある場所では、すごく人に気を使って、悪いことを言わないのです。
私は、トルコ語の授業での1シーンを思い出しました。
例えば、「いい喫茶店があるから、通りすがるときに、見せるね」という状況は、トルコの文化の上では成り立たないのだとトルコ語の先生が言うのです。それによって、使う文法の形が違って、話題となりました。トルコの文化上では、絶対に、紅茶をそこで飲もうという話になって、見せるだけということは、成り立たないというのです。
トルコ人は、どこかに行こうとは言うけれど、なかなか一緒に行かないというのは、日本人からときどき聞く不満のひとつです。
人とのつきあいいおいてはトルコ人には、合理的とはいえないけれど、こうしたほうがいいという独特の感覚があるのです。
ギュルセンがドイツ人の彼女のホテルの仕切り方に不満を感じるのも、トルコ人を少しだけど見てきた私には理解できました。それと同時に、きちりと自分の生活を続けるアネットさんも好きでした。
彼女は、20年前からずっとこのホテルに住んで、お客さんがいないときは、ピアノを弾いたり、本を読んだりして過ごすと言いました。アネットさんもまた、ここが、トルコのアイバルックが好きだそうです。


誰にでも薦めない理由は、まわりがごちゃごちゃしていることだけです。歩いてみると街まですぐで驚くほどです。(写真の小路の距離の1.5倍くらいでホテルにつけます。分かりにくいと思うけど・・。)
写真の小路の向こうは海と夜も昼のようなのんびりさでぎわう街です。
初めて訪れるときは、見つけるのが難しいかもしれません。
それから、1階のロビーにクーラーがある意外、クーラーは部屋にありません。
朝食付きで一人20ユーロ。

以下は「小さいホテルの本」のトルコ語から訳したものです。訳はうまくできてないと思うけれど、ご勘弁。
でも、私のもっとこのホテルへの感覚と同じです。
kの本の作者は上手に書くなと思いました。 (作者ニシャンヤンさんは、自分の足で歩いて訪れて、いいこともよくないことも、素直に書く、自由な人だというのを聞いたことがあります。)

[アイバルックの古いギリシャ系住民の地区を好むのも可能、嫌うのも可能。
歴史の宝石と思うこともできる。または狭い路地の間に挟まるゲットーと捉えることもできる。
その中間の立場を取るのは、難しいであろう。

一目見て、アンネットの家は、好ましい発見となるであろう。外観はまあ、まずまずというところだ。中は100年ものの、ものものしい戸、弧を描く木を材料にした階段、装飾をほどこした木を材料にした屋根、黒と白のモザイクのついた台所、白い油絵の具が広く土台となり調和をとっている、落ち着いた古い南ヨーロッパの家である。
 大家は20年あまり前からトルコで生活している。整然とした文化的なドイツ人の女性である。TRT3(トルコのチャンネルのひとつ)を聞いている。来客を私的な客のようにもてなす。観光、チケットなどを用意してくれる。裏の庭で食事をサービスしてくれる。
部屋には風呂場はない。でも、細かいところはヨーロッパ人の好みがしっかりと出ているように感じた。]

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エルグアン・エビィ

1ヶ月も前から、このホテルに泊るのを楽しみにしていた。


「小さいホテルの本」に出ている女性、この家のオーナーにも会いたかった。
電話で話しても、待っていてくれると思って、気がはやった。
ホテルに行く日も、プランがいっぱいだったけど、それでも夜8時には着きたかったのに、
友達が、アイバルックトーストを買いたい、サルムサック海岸を見たいといったおかげで、
夜10時くらいになった。
はじめて、大人げもなく、不機嫌になった。(--)それくらい、行きたかったし、彼女に気持ちを示したくて、夜遅く訪れる失礼をしたくなかった。(結局、友達は何回も彼女たちに電話しながらホテルまで行き、その後も、すっかり打ち溶けて話し込んでしまい、
私の心配はいらぬものとなった)



林の中にあった。私たちがホテルに着いて一息ついたのはもう、夜11時だったけれど、
テラスでは、人々が談笑したり、寝そべったりしていた。
きれいな音楽が流れて、体を伸ばした目の先は林。その上は、星空だった。

チャイを飲んだ。ひょうたんから作ったライプ。
お手伝いの男性、女性一人ずついるので、
オーナーの彼女たちも、ゆったりと自然な感じで溶け込んでいてくれる。


翌朝も、テラスでいつまでもくつろぐ夫婦がいて、
イスタンブールから休みがとれると、すぐにここに来るといった。もう何回もきているらしい。
近くにとてもきれいな浜もあって泳げるそう。
「イスタンブールから一番近くてきれいな海は、ここよ、ボドルムまで行くことはないわ。」と言った。



ホテルのオーナーと朝食後、ひととき話をして過ごした。
「ときどき一人でお客さんはやってきて、ホテル昼間、どこにもいかないでホテルでずっと、過ごしている。本を読んだりして。
そういうのに、いいホテル。普段のにぎやな暮らしから離れて、休むことができる。
私自身も、ここが好きなの。」
と語った。
暖炉があって、横には本が並んでいた。ときどき、お客さんは本を持ってくるのを忘れるからねとオーナーは言った。
春は花が咲き乱れて、それはきれいだから、おいでと言った。

ここは、チャナッカレの南のエーゲ海沿い。住所でいうと、クチュッククユになる。
イスタンブールから近くの空港(エドゥレミット)まで来て、バスで1時間、その後、タクシーで来られるそう。

http://www.erguvanliev.com/tr/otel.asp

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アイバルックのビーチについて


私の好きなニシャンヤンさんの本では、「パトリカ」という項目でこんな風に書きだしてあります。


ジュンダ島の裏側は驚きにあふれている。人の手が入っていない自然

西側の森、乾ききった土地、オリーブの林。


アイバルックで泊ったホテルのオーナー、アネットさんに薦められて、一日目

私たちはジュンダ島のビリンジキョイで泳ぎました。

10日後には、女たちが手伝いにやってくると行っていましたが、

男手ばかりで、ビリンジキョイビーチの横のレストラン(私には、ビーチ沿いにどんなレストランがあるかは、とても重要なのです(^^))では、料理も、ろくに、ちゃんとできないさまでした。

浜の裏辺りは、牛などの家畜がいてその奥は

ずーっとオリーブの木々のようでした。

驚くべきことに、この「ビリンジキョイ」の人に最初、「ビリンジキョいはどこですか」と聞いて、知らないと言われ、通りすぎてしまいました。

細く続く土の小路、対向車が来たらアウトだねと言いながら、それでも、オリーブの木の中、ときおり、きれいな景色もあったりでしたが、さすがに何もなさそうで、ひきかえしました。

どうも、そのまま、もっとがんばっていくと、「2番目村」という村に出て100件ほどの家があるそうです。

(ちなみに、「一番目村」は3件。)その100件の村に出たら、車をとめて、2キロ、左にずっと下っていくと、皆が薦める「マナステル」という場所、(どうも教会みたい)があるらしい。

私は、とても行きたくなったけれど、この暑さの中、2キロ行って帰られないだろうと話あい、断念しました。


「ビリンジキョイ」のビーチは、遠浅で泳ぐには困らなかったし、悪くなかったけれど、

あまりに人気がなさすぎて、あまりにリゾートどころか、「休みだ!」という感じさえ、しなさすぎました。

本当に、ただの村。こういうのが好きな人もいるかな?

これだったら、ジュンダ島の入り口、ホテル、4つ星ハリッジホテルの向かい、お金がいらないというビーチのほうが、まだ、公共プールという気がして、よいと思いました。


ところが、同じジュンダ島でありながら、2日目に行った「キャンピングビーチ」は、それはそれは最高でした。穴場だと思います。

まず、一目で、水のきれいないいビーチだと分かります。

横のレストランにはきれいにメゼが並び、地元のワインやら、おいしいお肉やら、食べられます。

チャイやネスカフエを何杯も飲みながら、すわっていられます。

ここから、すぐ海が見えて、入るなり子供たちの、「ありえないよー。こーんな大きな魚と

、いそぎんちゃくが見えるー」と聞こえてきました。子供たちが立って声をあげているのは、岸からわずか3メートルくらいのところ、40センチの魚がいたといいます。

私も後でゆっくり歩いていってみましたが、岸からすぐのところにはもう小魚の大群が泳いでいるのが、海に入らずとも見られるのです。後で簡単なシュノーケルセットでもぐると、子供でも余裕で足がつくようなところに、小さいいそぎんちゃく、水槽にいれて眺めるような、平らなかわいい魚がいて、一緒に泳いでいる気持ちを味わえます。主人は、えいを見たと言っていましたよ。

前日あきらめた、マナラティという教会もここから船で見に行けるそうで、その方がいいと言われました。岸にキャンピングカーが数台とまり、中で宿泊できます。また、ロッジもあります。

1週間くらいは、ここで泊って、ずっとこの海にいたいと思いました。

女の方3人くらいがずっと、レストランで座っていて、「ジュンダ島は夜がまたいいのよ、。ゆっくりコーヒーが飲める場所がある。」と話していました。

このキャンピングビーチへは、イスタンブールから長距離バスでアイバルックまで、その後、タクシーに乗って来ることができ、不便を感じることなく来られると言います。

誰にでも教えたくないような、教えたくてたまらないような(^^)浜でした。

アイバルックの浜というと、誰もが、一番に「サルムサック海岸」を進めます。ここも行って見ましたが、広い長いビーチが続き、フェテイエをおもいおこしました。

それほど、よく思えませんでした。人の手が入りすぎてよくない感じ。

今回、浜っていうのは、その場所のもつ、かもしだす雰囲気、作り出す一体感がとても大事だということです。
キャンピングビーチについて http://www.adacamping.com/eng/default.asp

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2007年6月26日火曜日

 

アイバルックでアイバルックトースト

イスタンブールに住んでいても、ときどき、見かけるのが「アイバルックトースト」の看板です。
カウンター越しに気軽に買うことができます。
 パンにチーズ、ピクルス、スジュク、ハムを挟んで焼き、ほかほかになったパンの間にマヨネーズ、ケチャップを挟んでくれます。
 イスタンブールで食べたときは、マヨネーズとケチャップが多くて、少ししつこいけれどおいしいと感じました。
今回、なんと、「アイバルック」で、「アイバルックトースト」を食べることができました。
 アイバルックは、トロイの木馬で有名なチャナッカレの南、エーゲ海沿いの町です。アイバルックに行ったら、ぜひ、行って欲しいのがここ、「シェイタンソフラス」という場所。 日本語で言うと、「悪魔の食卓」。どうして、こんな名前がついたのでしょう?
 車で坂をぐるぐる上った先にあります。ぐるりと海。絶景です。
 おお、これぞ、アイバルック。ガイド本で見ると、載っていたとしても、ほんのチョッピリなのに、
トルコ人が薦めに薦めるアイバルック。
ここに来て初めて、「なるほどーー」と納得が行きます。
この季節、どこも暑くて倒れそうなのに、ここは、涼しかった。
チャイを何杯も飲みながら、ゆっくりと海に夕日が沈んでいくのを見ることができます。
トルコは今の季節、夕日は9時ごろ沈みます。長い楽しい夕沈みの時間をもつことができます。
アイバルックトーストをほおばり、その後は、キョフテやサラダもいただきました。
食後は子供たちは本を読んだり、走り回ったり、自由に過ごしました。
私たち大人は、チャイをおかわりしながら、話続けました。
ここで食べたアイバルックトーストも、さっぱりとしていて、おいしかったです。

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オリーブ石鹸工場見学



チャナッカレの近くを車で通っているとき、通りがかりにいつも買っている石鹸についているのと同じ絵を見つけて、車を停めました。アダテペというオリーブ石鹸の工場 、博物館でした。


まず、入るなり、大きなバケツのようなもの。
ここには、どれくらいのオリーブが入るでしょうか?


100キロ?いいえ。500キロ?いいえ。1トン?いいえ。


答えは400キロでした。それを、二つの大きな石の輪でつぶします。
種も一緒に。


次の場所に行くと、丸い敷物にこのつぶしたオリーブを広げて重ね、機械に載せます。
横のポンプでこの敷物が上に上がっていって、汁がこぼれおちます。


さらに横の壷に移します。ここで3ヶ月、寝かすことになります。
自然のものなので、汚いものが下に沈むし、濃度の違いで、水が下に油が上にときれいに分かれます。


その後、大きな釜に移します。本当に大きくて、1階と2階にまたがっていました。
そこで3日間、ゆでるそうです。
煮るときに、オリーブ油のほかに
化学物質、塩なども入れると行っていました。


息子が、「どうして、塩を入れるんですか。」と質問しました。
温度を上げさせすぎないためだそうです。
高い温度でやると速くできるけれどいい品質のができないと言っていました。


その後、四角い入れものに流して、1日待つと固まります。(季節によっては3日間。)
切って判を押して、立てて、さらに乾かします。


分かりやすく、説明してくれました。


店の人は、どうして、日本人はこんなにオリーブ石鹸が好きなの?と聞いていました。
日本ではオリーブ石鹸はすごく高いからだと答えました。
何か、足りないなと思って、「皆が少しお金もちに皆がなって、自然のもの、体にいいものをほしがるようになったからだと思うよ」とつけたしました。


こういうとき・・・・「日本人はどうして・・?」と聞かれるとき、いつもできるだけ、何か答えるように努力しますが、
後になって答えに少し責任を感じて、いつもこの答えでよかったのかしら?と思いおこします。


Zeytinyağı Müzesi (Küçükkuyu Çanakkale Türkey)
http://www.adatepe.com/

写真は、博物館の前になっていたオリーブです。

追記

旅名人ブックス55「イスタンブール・西北トルコ」日系BP企画 の210頁に、
「キュチュククユ村」 
と見開き2ページにわたる記事があります。

それによると、ここは、「トルコで唯一のオリーブ博物館」   だそうです。この記事では、紀元前も今もオリーブの実を落とす棒が同じだということを、おもしろく感じたと書いてあります。(私は、この棒を見た覚えがないのだけど。)
キュチュクというのは、トルコ語で、「小さい」の意味、「クユ」は「井戸」の意味。
このオリーブ博物館は、「小さい井戸」という村にあるのです。アッソスから海岸に沿って東に移動したところ と、紹介してありました。

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2007年6月25日月曜日

 

トルコの遊園地(アイバルックにて)


トルコの遊園地は夜開く。昼間は閉まっていることさえ、ありえる。日本と逆だ。まず一目でいつも驚くのは、観覧車がグルグル速く回ることだ。ゆっくり回るのに目が慣れているので、ウォーっと目をみはってしまう。単に観覧車というものに、違う認識をもって見ているからだと思う。
最初に乗ったのはこのバイキング。係りの若い男の人がリモコンを持ち、スタート。皆の顔を見て、満足が行くまで止めない。最初、乗ったとき、日本の頭からすると、驚くべきサービス精神だと思った。今回は、息子とともに私も気持ち悪くなってきて、すぐに、小さい動作だが、気持ち悪いと言おうとすると、この若者が察して、停めて、私たちを降ろしてまた、続きを始めた。一応安全バーがあるけれど、おかまいなしに立っている人さえもいるのに、誰も気にしていない。日本だと、どんなクレイムが新聞やらワイドショーやらであふれるかと思う。ありえない光景だ。
実は、私たち、お金も払ってなかった。ひとつ3ytl(250円くらい)のコインを買って乗ることになっているのだが、その辺りもルーズだ。気づけば払ったら?という様子だ。一言で言うと管理が甘い。でも、そのことを気にする人もいないみたいな様子。その後、子供たちは、車の運転、トランプリンのようなものを楽しんだ。どちらも、いつ終わるのかなと思うくらい、長い間、楽しませてもらった。

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2007年6月20日水曜日

 

イチリキョフテのおいしいレストランSABIRTASI

うちではメイドさんも私も イチリキョフテを上手に作ることができるので、家族の大好物です。家で食べるつもりで外でイチリキョフテを注文すると、いつも、頼んだことを後悔します。(これは、地域によって、作り方が違うのも、一つの理由だと思うのですが。)
今日、行ったレストランは、はじめて、家で作るのと同じような味のする、心からおいしいと思うイチリキョフテでした。店の人によると、一度、お湯でゆでてから油で揚げるというから、私と作り方が同じです。タクシム、ガラタサライ高校の斜め前、細い階段を4階まであがっていったところにあるSABIRTASIというレストランです。
家族で経営しているそうです 。ギャルソンの人も、
この人が私のお姉さんで、お父さんが店を出したのが始まりで・・と家族経営を誇りに思っている様子がうかがえました。

写真はレストランの窓から見たイスティクラル通り 。
平日の昼間でも、まるで日本でいうと、お祭りのように人通りがあるので驚きました。
もう1枚はレストランの室内の模様。木があたたかく、緑が多いです。入り口近くでは、女の方が、ハムル(小麦粉などから作るたね)を昔ながらのやり方でこねたり伸ばしたりしています。

イチリキョフテについては、2006年6月11日の記事を参照。



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オルハン・パムク№2

トルコ文学で一番私たちに知られているのは、オルハン・パムク。
2006年、ノーベル文学賞を受賞しました。
私のトルコ語の先生は、初期の作品、「ジェヴベット・ベイとその息子たち」「白い城」「静かな家」などは好きだったけど、ある本で中にたくさん、街角で撮った本人の写真が載っているのを見て
お金のために、仕事をしているわと思って、嫌になって、遠ざけるようになったと話していました。遠ざけて8年くらいたったと言います。
彼女が言うには、イブラハム・タトゥルス(テレビによく出ているおじさん)みたいにポーズをとっていたというのです。彼女の考えでは、ある種の芸術家は、一番にいい仕事をすることに力をそそぐべきで、困らないくらいのお金があれば十分、そうあるべきだというのです。人はときどき、小さな理由でも、何かを遠ざけるのに充分になるものよと言いました。
でも、オルハン氏の「父のトランク」という作品だけは、どうやって文学作品がなったかというのを、表現していて、これだけは、本当に価値のある文章だと思うと言っていました。
また、彼女は、トルコの作家では、「ブケット・ウズネル」という人を薦めました。(いつか、私にも読めるでしょうか?)
オルハンパムクについては、下のブログで、かなり分かりやすく理解できました。
トルコの置かれている状況についても。
http://blog.goo.ne.jp/old-dreamer/e/da1db16f366ef36dd72439e919ff5251

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2007年6月19日火曜日

 

トルコでおいしいご飯を食べるには

ご飯をどうやったら、おいしく食べられるかは、トルコに住む日本人の大きな課題です。
ヨーロッパに海外旅行に行ったら、日本米を買って、かついで帰ってくるという人がいました。
お米は全部、日本米を日本から、送っているという人がいました。
私たちは、お米、食べられるし、全然問題ないと思っていましたが、あるとき、もらった日本米を食べたら、ご飯がピカピカに光っていて、おいしくて感動でした。

トルコ米をおいしく炊くための、今日、習った炊き方は、ざるにご飯をいれて、水を流している下で、5分くらい、軽くかき混ぜ続けます。
その後、ボールに30分あげておいてから、炊飯器で普通にセットするそうです。
水につけておくのではなくて、ザルにあげて表面を乾かすというのが、変わっているように感じました。
ご飯がピンとたって、ご飯だけで食べられるくらいおいしいと、聞きました。
今度、試してみます。

トルコの人は、ご飯は油と一緒にピラフにするので、同じお米でも、おいしく食べているのです。
パンが主食でご飯は、おかずだそうです。

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ガラス細工

ガラス工場に最近偶然、2回続けていきました。
ジャムオジャーウというところで、ポロネズキョイの近く。ガラスを細工しているのが見学できます。この人は、メブラーナをしている人を形作っています。(トルコっぽいですね。)見ているとおもしろいです。
ここでは、販売もしていて、ガラスで作品を作るのを、習うこともできるそうです。

camocagi(ジャムオジャアウ)のサイト
www.camocagi.org

ご希望の方、2週間のガラス作り集中講座があるようです。

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カンルジャのヨーグルト





カンルジャのヨーグルト。


日本のテレビ番組でそこでしか食べられない、新鮮なヨーグルトということで、紹介されていました。

さっぱりとしておいしくて、上に粉砂糖をたっぷりのせていただきます。



船のキャプタン(運転手)に、カンルジャによって、ヨーグルトが食べたいというと、停泊はできなくて、

カンルジャの船着場(トルコ語でイスケレ)によるだけでも、30ytlとられて、一人が降りて、買いに走らないといけないと言いました。

買いに行ってもらって船の上で皆で食べました。



2007年6月18日月曜日

 

船を貸しきって

ボアズ海峡にとまっている船を一日朝11時から5時まで借り切って500ドル。今日はお友達と16人で、この船に乗りました。運転手(トルコ語でカプタンと言います。)とお手伝いの人がついています。
飲み物食べ物を持ち込んで、水着や釣竿を持っていきました。黒海に着く手前、ベイコズというところで船をとめてもらい、魚釣りをしました。いわしが2、3ひきずつ、ぽちぽちあがりました。
周りにも船がとまっていて、船から飛び込んで泳いでいる人たちが多かったです。
ボスポラス海峡の色は、場所によって変化しました。ベイコズ辺りでは、エメラルドグリーン(トルコアズ)に、黒海近くでは、青く。
浜には、別荘やレストラン、城塞、軍の施設、海水浴場、いろいろ見えました。
日本では、できない経験をしたなと思いました。

私たちの乗ったのは、フィクレット(Fikret)さんの船です。
www.ozelturizmyatcilik.com

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2007年6月16日土曜日

 

安い女

言葉を勉強すると、母国語を意識することが多くなります。

日本語の上手なトルコ人としゃべっていて、おもしろいなと思った話があります。
彼女が日本人のご主人と知り合ってあまりたたない頃、まだ、日本語も覚え始めの頃、電話で、
「やさしい人だね」と言われたそうです。
それを聞いたとき、彼女は悲しくて泣いてしまったそうです。
「安い女だね」を言われたと思ったそうです。
次の日、「あなた、なんでそんなこと言ったの」と聞いたそうです。

私は、トルコ語だと、nazikになるのかな?と聞くと、「そう、nazikとか kibalになる。安い女というのは、başitとかkolayという単語になるの。」と言っていました。一言で言うと、nazikは「(応対が)丁寧な」、 kibalを「高貴な上品な」、 başitを「たいしとことのない」、 kolayを「簡単な」という意味で理解しています。この4つの単語とも、日本語で、「やさしい」とも言うのです。

日本人は「安い女」という言葉をあまり使わないと思うけれど、トルコ人がしゃべる日本語には、よく出てくる気がします。トルコでは、「安い女」という概念が日本よりも、大きくあるように感じました。

あることを思い出しました。
タクシーに乗ってしゃべっていて降りるとき、タクシーの運転手が名刺を渡します。
また、僕を呼んでくださいと。
私は、いらないと言って返すのは、失礼になるかと思って、いらないと言うのを我慢して、持って帰り、
家でゴミ箱に捨てるのです。
でも、その話をトルコ人の彼女にしたら、それは、その場で、決して運転手からもらいませんと言いました。

実際、名刺を渡されたと言ったとき、なんでもらったの?と嫌な感じの言い方を他でもトルコ人の人たちに言われて、「え?私だってもらいたくなかったのに」と思ったことがあったのです。

優しさからしたことでも、トルコ流でいうと「安い女」のする行動と位置づけられることもあると知るきっかけになった苦い経験でした。

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2007年6月15日金曜日

 

ユズエヴレル(エテシレルのトルコ料理レストラン)・・高級感を買いましょう

  エティレル、大きく目立つエリィトリトというレストランの隣に割と最近、オープンして気になる存在でした。
入り口だけみると、小さな店のように見えるのに、中に入るとスペースが広くて、驚きます。トルコでは、そういう作りのレストランが多い気がします。
大きな画面のテレビがぶらさがり、セダサヤンというトルコで有名な芸能人の番組がかかっていました。
トルコでは、ここのところ、急に、ぶらさがり式の薄型テレビが増えました。
まず、何も頼まなくても、写真のように、パンや野菜やチーズや、いろいろ運ばれてきます。写真でビール以外私たちが頼んだものは、何もないのです。
あとで、お肉を少なめに注文して、ちょうどいいくらいでした。
お値段も高め、こういう店は雰囲気を買うんだろうなと思いました。素敵なスペースでした。会社のえらいさんをもてなしても、はずかしくないような雰囲気です。

(追記)
ユズというのは、トルコ語で100.
エブは、家、レルは、複数形にするのにくっつくける言葉です。「ユズ・エブ・レル」で、「100の家」という名前のレストラン。
さきほどの、メディイエキョイの「アリベイ」は、トルコでいったい何割がアリさんなんだといういうくらい、トルコで多い男性の名前、アリに、氏という単語がついたもので、「アリ氏」。
名は体をあらわすといいますが、イメージにあった店の名前がつくもんだなと思います。

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アリババ

メジデイエキョイ魚レストランというと、知名度も人気も私の意見では、一番はアデムババですが、次に名前があがるのがここ、アリババです。雑誌に出たり人に薦められたりで、よく耳にしていました。
 今日はやっと行って来ました。
 向かって左のほうの店に入りました。子供連れだったのでキョフテ(日本のハンバーグに似ている)を注文したら、「キョフテは隣の店だよ」と言われました。・・・どうも、魚専門と肉専門と小路を挟んで分かれているらしいのです。
向かって左が魚、向かって右が肉、食べるものによって、分かれているのです。
「OK。キョフテは隣から持ってきてやるよ」とすぐに返事をしてくれました。
さらに、ピラフを注文したら、「ああ、それも、隣の店だ。」と言われました。
なんだか隣のものばっかり頼んだねと友人と笑いあい、魚のスープ、イカフライも頼みました。
魚のスープは白くてすっぱい味がして、白身の魚がたくさん浮いていて、おいしかったです。
でも、慣れないためか、うちの子たちは、残しました。
トルコのいかフライはおいしくて、特にソースがうまい!日本から旅行に来た人たちがいたら、注文してみてって教えてあげたいような、おすすめです。

道路を挟んで建物一つ分のスペースをおいて、もう海沿いの道路になります。
この日は、アデムババの向かいのスペースで、大きな音量ではやりのポップミュージックがなって、ダンスしたり、ネックレスや洋服の露店が出たりしていました。
お祭りのようだけど、大きな垂れ幕には「3番目の橋よりも、メトロを!」と書いてありました。
お店の人は「毎年、同じ時期に、この運動をするんだよ。ここは歴史もあるし、きれいないい場所だ。だから、橋なんか作る必要がない」と言いました。
いろんな意見があるもんだなと思いました。
イスタンブルの問題として、誰もが「交通渋滞」をあげます。立場がかわれば、意見もかわります。
でも、本当に、小さな町の夏祭りのような様子で、住民運動というイメージには程遠く、歴史あるきれいな町は、ゆったりした海と一体化して、人々もほのぼのとしているのが、想像できるようでした。

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2007年6月14日木曜日

 

OKしました

 1週間前、 トルコ語の授業で文法を勉強するために、「もし男だったら」という作文の課題が出ました。
そのとき、私が作った文は「もし男だったらカフェで、OKをしたりバックギャモンをするのに。」でした。 そのときの先生の答えは、「女でもできるわよ。私だってしているし。そんな難しいことじゃないわ」と言いました。
 その3日後、友達が女3人でOKをしているから来る?と誘ってくれて行って来ました。
 そのカフェは、アルナブトキョイの海沿いの気持ちのいところにあります。パイは自動で片付いたり並んで出てきます。こぎれいで、風通しのよいろころです。一人日本語の堪能なトルコ人の方も一緒で、「あの人、有名人だよ」とときどき、訪れるお客さんを指差して教えてくれます。
 トルコでは、よく喫茶店で男の人たちがOKやバックギャモンをする姿を見かけますが、女の人は外では気楽にできたりしないのかなと思っていました。
 トルコ人の方に聞くと、「女の人もできるよ。でも、コーヒーとチャイくらいしか飲みものもなくて、男の人しか行かないところもあるんだよ。そういうところは女の人は入られない。」とのことでした。
「女の人、一人で行って、ぱっとOKできるようなところがあったりするの?」と聞くと、
「いいえ、トルコでそういうことをすると、安い女みたいに思われると思う。」と言っていました。

(追記)
OKEYのルール。
5枚ずつ重ねて木の台の前に並べます。
オニがさいころを2つふります。

1個のサイコロの数の分、自分の前左から数えます。
その位置にカードを1枚載せます。(配った時点で1枚余るのでそれを載せます。)
もう1個のサイコロの数分、その位置のカードを下から数え、ひっくり返して一番上に置きます。
そのカードがOKEYと呼ばれます。

OKEYの次の数は、何のカードの代わりにでもなります。
トランプでいうとババのような、マークのついているカードがあって、それはOKEYの次の数に変わります。
OKEYのカードが手元に来れば「ギョステルメ」を言って、カードを皆に見せると得点をひいてもらえます。(何試合かして最後に点数が低い人が勝ち)
カードは、オニが配り、自分の次の人から、5枚ずつ2周、その後、次の人5枚、残りの人4枚配り、
次の人が15枚、残りの人が14枚、もつことになります。

次の人がカードを1枚捨てることから、始まります。
あとは、1枚とっては、1枚捨てることの繰り返しでカードをそろえていきます。

数字の並び、(13、1まで続けられるが、13から続く場合は2以降は続けられない。)
同じ数字で違う種類の色、いずれかのパターンで、3枚以上でセットになる。
すべてセットになれば、OKEYと言ってあがることができある。

最初に得点を全員に与え、勝つとどんどん引き算していく方法。
OKEYの色によって、(たしか赤と黒は2点、緑と黄色は1点)引く点数も違う。
ギョステルメがあれば、それだけで、2点引いてもらえるので、得です。

(追記の追記)
トルコ語でギョステルメは、見せることで、OKEYのときに使う。
ギョステリシは、高価なものなどを見せたり自慢するのが好きな人のことを、ギョステリシが好きと言う。
ギョステリというと、舞台の発表などのことで、ギョステリを観にいくという風に使える。
日本人には、(私には?)難しい使い分けで、間違って話がおかしなことになること、しばしば。

(例)
(私)今日、子供のギョステリシでね。。(トルコ人)???
・・私は、発表会があってねと言ったつもりだが、トルコ人には、自慢?なに?ということになっていると思う。




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2007年6月13日水曜日

 

トルコでもう4年になるのに、知らなかった。
家から5分のところに、蛍がたくさん、いることを。
小さい光がチカチカ、チカチカ。
普通の住宅街の間の散歩道。木の下にたーくさん。
ちょっと夢の中に行ったみたい。

トルコは、今9時くらいにならないと暗くならない。
うっかりしていると、夕食もすごく遅くなってしまいます。
暗くなってから、たびたび蛍を見にいくことになりそうです。

地面の低いところ(大人のお尻あたりまで)でしか、飛んでいません。
日本の源氏蛍などとは、違う種類のようです。
なんと、聞いたところによると蛍って2000種類もあるらしいです。
つかまえようととすると、すぐに手に入ります。向こうから服にも止まってきます。

2007年6月12日火曜日

 

エユップ・スルタン・モスクからピエール・ロティまでの小路

エユップ・スルタン・モスクから、ピエル・ロティまで歩いて登れると、この日、初めて知りました。今までは大きな通りからごちゃごちゃした道をタクシーなどで坂をあがっていたし、遠かったです。まして、歩くには危ないところだよとも聞いていました。
実は、モスクの横からあがれて、ちょっとしたハイキングコースがあったなんて。今の季節、トルコは風は湿気がないし晴れ渡って気持ちいいですよね。この小路はトルコのお墓をま近で見られて、めずらしいし、看板で説明などもあって情緒を出しています。こぎれいな感じのいい道です。
道を歩く間、金角湾を見下ろす景色ものぞけて、ピエル・ロティに着く手前には、展望台までありました。
この道を知って、通って、得したなと思いました。

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エユップ・スルタン モスク

私のイスタンブールで一番好きなモスクです。
どこが好きかというと、人々の信仰の深さを 感じるところだと思います。
建物は2つあって、モスクと、もうひとつは、エユップ・スルタンが眠っている場所です。スルタンが眠っているほうは、タイルも立派でトルコちっくで、まず圧倒されます。
両手の手のひらを自分のほうに向けているのがお祈りのポーズ。ここでは、訪れている普通の人々の祈る言葉やコーランを読む声が聞こえきます。
自然と少し緊張して気がひきしまります。
信仰の深い場所でありながら、モスクのほうに入ると、装飾のセンスが新しい気して、とても感じがいいです。今回行ってみて、ああ、この空間、趣味、好きだな、だから、私、好きだったんだと思いました。写真は、モスクのまわりの廊下のようになっているところの天井です。絵の具のようなので描いただけだけど、なんて、かわいらしいんだろうと感心しています。
いつも、私は長い間、この絵を見上げています。

ここは、モスクの周りも、宗教的な感じがただよっています。頭にかぶるスカーフが売っていたり、
コーランが売っていたり。安くでタオルなども買えます。普段見ないようなものが売っていておもしろいですよ。
100円ショップのようなのもあります。
(前回行ったときは1YTLショップだったけど、1.5YTLショップになっていました。ここでも物価が上がっていることを感じ、小さなショック)

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2007年6月10日日曜日

 

タクシムのレストラン

タイ料理なんだけど、とーってもおしゃれなお店なのです。タクシムにあります。

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şirvan(シルバン)(レベェントのお薦めトルコ料理屋さん)

レヴェントに駅前にあるトルコ料理屋さんです。
駅前に2件もあるのです。
安くておいしいです。
大通り、ジェバヒルやカミヨンの並びのほうは、2階が広くて、
披露宴なんかもできちゃうくらいあります。
ゆったりリラックスできます。
もうひとつは、メトロの駅から出て、チャルシュ(商店街)方面に歩く道沿い右手にあります。この写真のような外観です。

お店のホームページですが、一般的なトルコ料理が写真で覗けて楽しいのではと思います。
http://www.sirvankebap.com.tr/menu.asp?katid=4&sayfa_no=1

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LOBBY(エティレルのお薦めレストラン)


エティレル、ニシペティエジャテシ(アクメルケズの前の通り、マクドナルドの斜め前)のお店です。
ランチが手ごろでおいしいのです。
毎日、日替わりでセットメニューを用意してくれています。
黒人さんのモデルさんが店をやっています。きれいな、腰のきゅーっと細い女性です。
子供の頃に、トルコ人の家に養子に入って、トルコで育ったそうです。モデルとして有名な人のようです。
店は夜も、やっています。

店のホームページ
http://www.lobby-etiler.com/

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シュンネット


エユップモスクで出くわしたシュンネットの男の子。はにかみながらもポーズをとってくれました。

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タクシムの穴場イタリアンのおいしい店


タクシムはイスタンブールの繁華街ですが、そこの隠れ家的なおいしくて値段も手ごろなレストランに連れて行ってもらいました。AKMに向かって右側に坂を下っていくと、目立つ中華屋さんの門があって、そこを下ったところ左手です。口にあう味付けです。トルコのイタリアンはおいしい!他にもメッツァリーナ、ダマリオ、ミヤマンサなどがイスタンブールのイタリアンでは、お薦めです。

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2007年6月9日土曜日

 

初挑戦のおいしいサラダ Yoğurtlu semizotu salatası


生まれて初めて買った野菜です。日本では売っていないと思う。トルコ語でsemiz oto(セミズ オト)という野菜です。急に友達、ギュルセンが来ることになり、サラダが食べたいというので、買いました。スーパーで聞いて、サラダを一品。にんにくを4つ、つぶして、ヨーグルトにまぜて、この野菜の葉っぱだけちぎったのを入れてまぜます。すこーし水も入れて。よく冷やしておいて、食べるときにお皿にもってから、唐辛子(クルムズビベル)をふってください。なんで今までしなかったんだってくらい、健康的でおいしいサラダのできあがり。(子供たちは食べませんでしたが)お客さまにも大好評。このごろ、スーパーのお姉さんに、作り方を聞いて買い物をすることが、たまにあります。

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2007年6月8日金曜日

 

桑の実 (dut)

桑の実が旬のようです。
昨日も、木になっているのを必死で取りながら食べているおばさんを発見。あまりの必死さにみとれてしまいました。
スーパーでこれは、買ったのですが、甘いです。
店の人は、1こ、また1こと、野菜果物売り場の棚からつまみ続けていて、「私も味見していい?」と聞くと、「いいよ。もう、一度食べたら、絶対にあきらめることはできなくなるよ。」とはにかんでいました。

トルコ語では、「ドゥットゥ」というそうです。

2007年6月7日木曜日

 

日本トルコ友好の促進のために(講演会)

日本とトルコのの関係について先日講演会がありました。とても勉強になり行ってよかったなと思いました。
東京大学教授の山内昌之さん、北岡伸一さん、元文相の遠山敦子さんの講演がありました。
演題は「世界の中のトルコと日本ー伝統と改革」でした。
写真、右の男性はボアジチ大学の先生だそうで、日本語トルコ語、どちらにも、分かりやすく、ユーモアにとんだ様子で通訳してくれました。
セルチュク・エセンベルさんという女の方もモデレーターとして参加してくださいました。日本とトルコを結ぶ上で、とても有名な人だと聞きました。 6月4日(月)

このとき、ボアヂチ大学の男の方が通訳で、それはそれは見事な通訳で舌を巻きました。専門用語の多い会になりましたので、途中、さすがに疲れてきたようで、遠山さんと言ったのを、間違って、「マリーアントワネット?」と聞き返したり、適当な力の抜け方も、くつろげました。
その通訳を横から、これは、こう訳したほうがいいわよと口をはさむおばさんがいて、正直に言って、上手に訳しているのをさえぎって、いやだなと思っていました。誰だろうと。
友人に話すと、やはり、ここで言ったことが重要な見解になったりするので、素人には、どっちでもいいようなことでも、正しく直しておくことは、必要なことだということでした。
あとで、「ビルバシカイスタンブル」という雑誌を手にすることになりました。96年2月号、セルチュク・エセンベルさんの記事を見つけることができました。
セルチュクさんがこの記事で述べていることは、日ごろ私が強く感じてうまくいい表せなかったことでした。
「言葉とともにもっとトルコ人の考え方や、価値観、習慣なども勉強して欲しい」と書かれていました。
まさしく、私も、言葉自体よりも、その向こうにある考え方、価値観、習慣なでがおもしろいところで、難しいところだと、常々感じていましたので。
例として、セルチュクさんが言っていたのは、「トルコ人はたとえ感謝しても、お礼をすぐするのはいけないことだという考え方」をすること、「トルコ人は誤ると自分の名誉が傷つくと思って誤らないけれど、素振りを見せる」ということ。誰も教えてくれなかったけれど、実感に照らしあわすと、よく分かるお話でした。
こういうトルコと日本の間で尽力されてきた方のお話を聞くことは、なんと実りの多いことだろうと思いました。                           97年  7月22日

"Dünya Toplumunda Japonya ve Türkiye Gelenek ve Reform"
4 Haziran 2007 pAZARTESI 15:00~18:00
Ceyran Intercontinental Istanbul Anadolu Salonu



Masayuki YAMAUCHI, Atsuko TOYAMA, Shinichi KITAOKA

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2007年6月6日水曜日

 

トルコの音楽家

トルコで有名な音楽家は2人いるそうです。

この銅像はイスタンブール、ウルスの道(アクメルケズとウルスパークを結ぶ道)沿いにあります。 6月5日(火)撮影
銅像の台には下のような説明がついています。

アフメット・アドゥナン・サイグンという音楽家でオーケストラの指揮者で国の芸術家で、トルコでオペラを最初に書いた人」
「AHMET ADNAN SAYGUN 1907-1991 MÜZİSYEN ORKESTRA ŞEFİ DEVLET SANATÇISI İLK TÜRK OPERA YAZARI」

だそうです。
この銅像の下は花壇になっていて、いつもいつも、きれいな花の苗が植わっています。

2人目は、ジェマル・レシット・レイという人です。
たまたま最近、この人の作曲した「オスマン・パシャ」という曲のピアノ演奏を聞く機会に恵まれました。
この曲は「トプカプ宮殿でたくさん人が集まっていて、そこにオスマンの王様が登場する」、そういう曲だそうです。
このジェマル・レシット・レイと同じ頃に、オーストリアの作曲家、モーツァルトはパリに来ていて、オスマン軍のメフテルを聞いておもしろいなと思って、トルコ行進曲を作曲したといいます。

2つのトルコ行進曲はあまりに有名ですが、トルコの作曲家たちは、今まであまり、知りませんでした。

 

ギュレルオジャクバシュ(肉のおいしいトルコ料理の店)


今日はギュレルオジャクバシュというトルコ料理レストランに来た。タクシムスイスホテルの向かい、ディアサーから坂を下る。いつも清潔にしてあり、壁にアタチュルクの写真が飾られているのも敬意のあるいい感じだ。敬意(トルコ語でサイグルという)は、トルコ人にとって、とても大事なことだ。肉はプリリとしていて、筋の張りを感じながら噛むことができる。筋と言っても、噛み切れない意味での筋ではない。プリンプリンと縦に繊維が切れるのを感じつつ食べることができるのだ。私はお肉のミックスを頼んだ。脂身の少ない鶏肉もおいしかった。特に羊は最高だった。ジューシューだった。最後にほおばったビベルは辛いほうで苦しんだ。 居合わせたお客さんも「彼女にトマトを」と言って、すぐに4分の1に切って焼いたトマトが運ばれた。おさまった!すばらしい。チャイは小さなチャイ用のコップに砂糖を2個入れた。そうしたくなった。おいしくて涙が出るくらいだった。おなかがいっぱい。

2007年6月4日月曜日

 

ベシクタシ夜9時



ベシクタシ夜9時。こんな様子です。まだ明るいです。ここは、ヨーロッパ側、アジア側を船で移動する人、バスで移動する人、ドルムュに乗る人、また、ここでゆっくりしていく人、買い物など用時のある人、たくさんの人が行き来しています。

今日は久しぶりに会った友人たちと、ビールで乾杯。75ccのジョッキで11ytl。ドイツ人のエレンは、笑顔の素敵な人。高いね、1杯にしとこうねと言いました。

エレンは、ディエルバクル(トルコの東の方。バスで23時間って言ったっけ。車だともっとはやいそうですが。)というところに半年後くらいに移動して、そこで英語の先生をしたいと言っていました。そこには大きなダムがあるとも行っていました。30歳の彼女は、まだまだ自分にしたいことを追い続けるように見えました。

ドイツでは、ビールとソーダをまぜて飲むと言っていましたが、そうなの・・?

向こう岸にアジアサイドが見えて明かりがゆらめいて、別世界のよう。橋は真っ赤なライトでかざられていました。週末をゆっくり過ごす人々・・。タクシムやニシャンタシュと比べると庶民的な場所のようでした。

2007年6月3日日曜日

 

ハンデ・ イェネルの今

ハンデ・イェネルは今私が一番好きなトルコ人。去年コンサートに行きました。フェミニンでありながら、かっこよい女性です。でも、私生活については、ほとんど知ることがありませんでした。
今回新聞(5月31日 ギュナイドゥン紙)に載った彼女の記事を辞書を片手に読んでみました。やはり、かっこいい魅力的な彼女のイメージからかけはなれることはありませんでした。
彼女は10才年下の彼を信頼しておりマネージャにしていること、幸せだと感じていることを話しています。
また、新しく出したアルバムで、新しい音楽(エレクトロニック音楽)を試したため、批評をかっていることについて、今までと同じタイプの音楽はもうやりつくした。形におさまることは好きではないと言っています。成功することによって、自分を甘やかす、増長させることはない、自分に自信はもてるようになったと言っています。自分のスタイルで仕事をし続ける女性のようでした。
今回のアルバムは、私の率直な感想では前回と比べて、メロディにとぼしく、1曲目以外はそんなに魅かれませんでした。
でも、新しいタイプの音楽への挑戦だという説明で納得がいきました。

以下、5月31日、ギュナィドゥンという新聞に掲載された文章の訳(一部)です。

批判を気にしないわ。新しいスタイルが好き。

 先日「どうやって狂った」という新しいアルバムを出したハンデイェネルは、電子音楽をやっていくことを決めたことを明かした。彼女への批判は嫉妬からくるものだと理解している彼女は「私はいい音楽を作っている、これからも電子音楽をやっていくつもり」と語った。
 新しいアルバムで自分の歌と一緒に、はじめてセゼンアクスのベストを、またセイヤル・タネルの古典になった歌「ナージィェ」をも、解釈した。私生活においても恋愛中で安らぎを感じていると語った。「形にこだわる人たちを信用しない。人生の一番いい時期に私はいる。私は恋人との関係で 一時も年齢や地位を気にしたことはない。」と言った。そんな彼女が「ギュナイドゥン」(新聞の名前)に心の中をうちあけた。

私は今とてもいい状況にいます

アルバムの名前、「どうやって私は狂った?」ですが、ハンデさんは、どうやって狂いましたか?

 私は自分自身をよいと感じています。一般的な話として、皆が私が楽しんでいないようにいうけれど、私は前向きでいます。自分に活力があります。だから、少し早めに皆で共有したかった。多分楽しんでくれると思うし、この曲は人々の頭に残ると思います。

あなたは、誰もがあなたを怒らせることができないようなポジィティブ思考をしています。にもかかわらず、出した音楽の種類でとても批判されていますが、、。

やった仕事を信じているし、自己啓発もしているので、自信をもっています。だいたい、仕事でとても成功していう人たちは、いつでも、とてもより「かしこく」見えるものです。そういった仕事で成功している人たちは誰にも圧力をかけないし、誰の心も損ねないです。このようになるためにも、強くなる必要があります。私は自分が強いと感じない時期は、とても批判されることを嫌っていました。自分の仕事を見て自己改革をするように努めました。そのような時期が終わったとき、すべてが変わった。作る音楽や、スタイルが定まった。いい位置にいるし、特別なことだと感じています。

この変化の鍵となった点は何ですか。

「アパイル」というアルバムが、この変化の鍵となりました。私たちがやった仕事はあなたたちをアグレシブにすると思うし、また、幸せにもすると思います。

危険をともなうくらい私には主張があります

つまり「アパイル」のアルバムを出す前は、幸せじゃなかったということですか。

私はいい曲を作ったし、一番いい状態で止めておきたかった。なぜなら、その続きはなかったから、自分自身真似をして作ることを始めました。人生に混沌が生まれるところだった、もう少し音楽を学ぶ必要があったし、西洋の仕事をやる必要があると感じた。そういう意味で自分の道を歩き始めた。「アパイル」というアルバムは少し私を幸せにした。なぜなら、音楽の質という意味で、よりレベルの高い企画ができるようになったからです。

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2007年6月2日土曜日

 

トルコ人 異文化体験をあげてみよう

  1. お互いにとても、干渉しあう。たとえば、「今どこにいるの?何をしているの?」という電話を、夫婦、親子、恋人同士がかけあう。友達同士などでもすぐに、「連絡しないけれど、私のこと嫌いになったの?」などと言ったりする。
  2. 子供に、冷たいものを飲ませない。バザールで子供は何を飲む?と聞かれ、缶ジュースというと、目の前まで持ってきて手の中にあるのに、なかなか渡さない。子供は早く飲みたくて、ぐずりだす。「子供が冷たいものを飲んだら体に毒だから、今手であたためている。」と真面目に言われたときには、驚いて笑った。
  3. 子供に薄着をさせてはいけない。いつも日本の子供を連れた母親たち、特にベビーかを押している母親たちは、トルコの女性たちにしかられている。子供にそんな薄着をさせてはいけないと。「子供は風の子」と言っても、絶対に納得しない。
  4. 時間に遅れることに皆が慣れている。15分遅れは、トルコでは普通という感覚もある。
  5. 道路の横切り方が強引。慣れると自分もタイミングをとって強引に車の間を横切るようになっている。
  6. 道を聞くと、誰もが教えたがるが、間違って教える人、多い。よく知らなくても教えたがる。(!?)
  7. 日本より、人にしてあげることが当たり前のような気がする。どうして、そんな風にするの?という質問は失礼になることもある。ありがとうと受けて、その気持ちを忘れないでいて他のことで返すようにするほうがよいかもしれない。
    会計のとき、日本人たちは、みんなが同じ分だけ払うように、計算に長くかかったりするけれど、あまりそういうことを好まないよう。


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2007年6月1日金曜日

 

トルコイスタンブル日本文化祭2日目

日本文化祭2日目です。
習字、生け花、着物の着付けの体験をさせてもらえました。
習字では、お手本は、{人、子}、私は、友達にいい意味の漢字だからと「和」という字を真ん中に書くことも教えました。飾れるよと言って。
ハッサンというトルコ人の方は、「葉山」と習字で書いてもらい満足そうでした。習字をトルコ人、外国の人がこんなに喜ぶとは知りませんでした。
「愛トルコ共和国」と書いた短冊をおみやげに渡していましたが、それも、とても喜んでいました。
生け花も、スポンジ?のようなのに、2種類の花と細かい花をさすだけの簡単なものでした。主をどっちの花にするか決めて、それが引き立つように、置いてみて!それだけの指導でしたが、外国の人はとても喜んでいました。
外国に住んで、お茶、お花、着付けはやっておくべきだったなあと思いました。日本に帰ったら身につけたいです。
民間の団体が企画してやっていると言います。
民間の人々でここまでできるんだとインパクトに残った行事でした。


日本トルコ民間交流協会主催、「2007年トルコイスタンブル日本文化祭」
2007年5月23日(水)
12時30分から16時30分まで 日本伝統文化展示会および体験入門
於 フェスハーネ国際フェアー コンフェランス 文化センター
(住所:Feshane Kultur Merkez Eski Feshane Cad. Defterdar Duragi Eyup 電話 0212-501-7326)

茶道紹介(裏千家及び表千家)
生け花デモンストレーション及び 体験入門(池坊)
木目込み人形展示会及び体験入門(米洲)
折り紙展示会及び体験入門
書道展示会及び体験入門(東風書道会)
子供の手遊びコーナー
着物着付け体験入門(国立着物教室)

今回の催しについて
http://www.istanbul.tr.emb-japan.go.jp/consulate_j/bunkasai_j.html

石本 寛治さん会長の日本トルコ民会交流協会について
http://www.tokyo-icc.jp/lespace/0202/p01.html





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