2007年6月16日土曜日

 

安い女

言葉を勉強すると、母国語を意識することが多くなります。

日本語の上手なトルコ人としゃべっていて、おもしろいなと思った話があります。
彼女が日本人のご主人と知り合ってあまりたたない頃、まだ、日本語も覚え始めの頃、電話で、
「やさしい人だね」と言われたそうです。
それを聞いたとき、彼女は悲しくて泣いてしまったそうです。
「安い女だね」を言われたと思ったそうです。
次の日、「あなた、なんでそんなこと言ったの」と聞いたそうです。

私は、トルコ語だと、nazikになるのかな?と聞くと、「そう、nazikとか kibalになる。安い女というのは、başitとかkolayという単語になるの。」と言っていました。一言で言うと、nazikは「(応対が)丁寧な」、 kibalを「高貴な上品な」、 başitを「たいしとことのない」、 kolayを「簡単な」という意味で理解しています。この4つの単語とも、日本語で、「やさしい」とも言うのです。

日本人は「安い女」という言葉をあまり使わないと思うけれど、トルコ人がしゃべる日本語には、よく出てくる気がします。トルコでは、「安い女」という概念が日本よりも、大きくあるように感じました。

あることを思い出しました。
タクシーに乗ってしゃべっていて降りるとき、タクシーの運転手が名刺を渡します。
また、僕を呼んでくださいと。
私は、いらないと言って返すのは、失礼になるかと思って、いらないと言うのを我慢して、持って帰り、
家でゴミ箱に捨てるのです。
でも、その話をトルコ人の彼女にしたら、それは、その場で、決して運転手からもらいませんと言いました。

実際、名刺を渡されたと言ったとき、なんでもらったの?と嫌な感じの言い方を他でもトルコ人の人たちに言われて、「え?私だってもらいたくなかったのに」と思ったことがあったのです。

優しさからしたことでも、トルコ流でいうと「安い女」のする行動と位置づけられることもあると知るきっかけになった苦い経験でした。

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