2008年11月30日日曜日

 

オルハンパムク「父のトランク」 Orhan Pamuk Babamin bavuluを読みました


オルハン・パムク氏とは、平たく簡単に言ってしまえば、ノーベル文学賞受賞のトルコ人作家である。今回、初めて彼の著書を手にとった。
 とても、この文章を読むことは私にとって、いい経験になった。
 作家であるということを十分に語っている。そして、彼に影響を与えた本についても語っている。
彼の作品「雪」や「私の名は紅」についても語られており、おもしろい。
 作家活動について、長い年月針で井戸を掘るようなものだと言った。一人で部屋にこもって、読んで、書いて、そして自分のもうひとつの世界を築くことだと言っている。

ラベル:


 

11月10日の敬礼 と ベリーダンス

久しぶりにお酒を飲んで酔っ払いながら2つ文章を書きました。
以下に紹介しておきます。
1.毎年11月10日の敬礼
2.ベリーダンス


1.毎年11月10日の敬礼
毎年11月10日になると、ちょうど朝、洗濯物を干している時間、サイレンが鳴り響く。
サイレンか、車のクラクションか?
トルコに住んで最初の年、ブーーーーーーという車のクラクションが聞こえた。私は洗濯物を干す手を止めた。見ると、走っている途中の車も坂の途中で止まっている。歩いていた人もしゃべっていた人も、道路上の人、みな止まっている。何が起こったか分からなくて、でも、少しでも動いたら鉄砲で打たれるかもしれないというような恐怖に駆られて、洗濯物を干している途中の姿勢のまま、しばらくの間私は人形のように動けなくなってしまった。一時のあと、街が動き始めた。
 私も動いた。後で聞いて、それが、トルコ共和国建国の父、アタチュルク氏の亡くなった日と時間だということ、そして、その時間、敬意を示す敬礼を全国民でするのだということを知った。
 翌年からは、一緒に、「黙祷!」の気持ちで体を少し前に傾斜をして敬意を私も一緒に示した。
 この国民のアタチュルク氏への敬意は、本当に強い。どんなに宗教的に、政治的に混乱が起きても、トルコ人全員がアタチュルク派であることには揺るぎがないようだ。
 アタチュルク氏の映像を見ただけで涙するという人がいるのを私は知っている。 トルコ、イスタンブールの観光名所、ドルマバフチェの時計は、今も、このアタチュルク氏が亡くなった時間を示したままである。

2.ベリーダンス
 トルコと聞いて一番に思い起こすものは、ベリーダンスと主人は言った。
ベリーダンスはご存じの通り、露出度の高い格好で腰を揺らしエキゾチックに踊るダンスだ。トルコだけではなく、エジプトでも踊られるようだ。
 この腰を振るという動き。にわかに日本人がやろうと思ってもできない。
ところが、トルコ人は一般の人でも、本当に腰が上手に動く、腰だけでなく肩も上手に揺れる。
 それは、小さいときから、結婚式などお祭りで見よう見まねで踊り続けてきたからだ。
結婚式の日には、みんなで音楽にあわせて踊る。女性にとってはそれだけでなく、結婚前夜には女性だけの「クナの夜」という場もある。クナというのは、日本でもときどき髪を染める染料として、ヘナという名で聞く。花嫁の手にこのヘナという染料を塗ることでついた「クナの夜」という名称だ。クナの夜に集まった親戚友人の手にもこのヘナの赤い染料は塗られる。
 そのクナの夜、女性だけが集まり、踊り通す。ポップス音楽に合わせて、踊り続ける。私も一度だけ参加したことがある。小さい子からおばあさんまで女性だけが集まりみな、踊り通す。小さい子供でも女性は女性。そこで、踊りながら踊りを覚えていくのだ。
 またトルコで、特に都会では朝方まで、音楽とお酒とともに踊るような場所があって、そこでも、若者たちは実に上手に、肩を揺らし腰を揺らして踊るようだ。このように日常から、トルコの人たちは、踊るのが上手である。
また、ギョベッキという単語がある。ギョベッキというのは、でっぷりとしたお腹を表す単語である。単独にふっくらしたお腹を表す単語が日本にはなくトルコにはある。単語があるというところに、トルコ人の趣向が出ていると思う。少しぷっくりとしたお腹は魅力的だという。ちょっとぷっくりとしたお腹を出して腰を揺らすベリーダンスは、トルコでは有名なダンスだ。

2008年11月27日木曜日

 

ikari でトルコ原産 干しいちじくを 買いました。




三宮に出たので、ikariスーパーに寄った。こういうこだわり食品の置いてある場所に、トルコからの食材などが置いてあることが多いので期待して覗いてみた。
 ドライフルーツのコーナーへ来て、「お!これは」と干しいちじくを見て裏に返すと、ビンゴ!原産国トルコと書かれてあった。
「有機栽培ドライフルーツ 干しいちじく(スミルナ) 輸入者 ノヴァ」
このノブァという会社は生産者から直接輸入して、定期的に農家を訪れ生産者との交流も大切にしているそう。合成保存料などの添加物を使用しないだけでなく、化学肥料、薬品などを使わずに栽培することにも気を配っているそうです。
ノヴァ
http://www.nova-organic.co.jp
なかなか、会社のページもおもしろかったです。意思のある会社という感じがしました。
食べてみたら、やわらかくて甘くて おいしかった。トルコで食べていたものよりも軟らかく甘く食べ応えがあった。値段もよかったけれど。
トルコがんばり!と買う。(買い物に、選択に、ちょっぴり意思をこめる30代の買い物!(^ ^))
 他のコーナーにあった干しいちじくは丸く立体的で小ぶりないちじく、それから、何かにつけこんだような干しいちじく、いずれもイラン産だった。
 一応、同じ売り場で干しいちじくの他、トルコ原産の可能性のありそうな干しあんず、ピスタチオも原産国をチェックしてみるが、いずれも、アメリカ産でした。オリーブ油もスペイン、イタリア産ばかり強い。お菓子とかも、トルコからは来てないのね・・・
 Sannomiya ni deta node IKARI su-pa- ni yotta. Kouiu kodawari syokuhin no oitearu basyo ni Toruko kara no syokuzai nado ga oitearu koto ga ooi node, kitai shite nozoite mita.Dorai huru-tsu no ko-na- ni kite,[o! koreha] to hoshi-ichijiku wo mite, ura ni kaesuto BINGO!Gensankoku Toruko to kakarete ita.
Toruko ganbari! to kau. Kaimono ni , sentaku ni cyoppiri ishi wo komeru 30 dai no kaimono.!(^ ^)
Hoka no ko-na- ni atta ichijiku ha maruku rittaiteki de koburi. Iran san datta.
Kono ichijiku wo yunyuu shite iru kaisya ha, seisansya kara cyokusetsu katte,tokidoki nouka wo otozureru koto mo daiji ni shiteiru sou desu. Gouseihozonryou wo tsukawanai dake de naku,Saibai no toki kara, kagakuhiryou wo tsukawanai, kusuri wo tsukawanai nado ni mo ki wo tsukete imasu.nakanaka kaisya no homepage mo omoshirokatta desu.
Ishi no aru kaisya toiu kanji ga shimashita.
http://www.nova-organic/co.jp

2008年11月26日水曜日

 

アシュク・デニズィ というアルバムを聞きながら・・

最近車の中で、ずっと「アシュク・デニズイ」というトルコの女性歌手、デニズ・セキのアルバムがかかっていた。
この人の歌声は本当に私に合う。
前聞いていたときとは、違う言葉が体に入ってくる。
音楽の不思議なおもしろさだ。
「ブラク ベニ チョック・イステルセン、ブラク・ベニ。
ブラクマ・ベニ。
イステメデン クルドゥイサム オズルディレリム」
この、ブラクという単語のニュアンスが今だにはっきり私には分からないのだが。
「私にかまわないで、もう飽きたのなら、もう、手放して。
やっぱり、手放さないで、気分を害したならごめんなさい。そういうつもりでなかったのだけど。」
という意味かなと、勝手にだいたいで理解しながら聞いている・・
ブラクと言った直後にすぐ反対の意味のブラクマと言って、乱れ具合がいい歌だなあと思いながら。
また、「ブ シェヒレ ソンバハル ゲルディ コヌシュマビレ ベニ アンラ アウチラル」と聞こえてくる。
「この街に秋がやってきた。話をしないでも私を理解して。木々よ」

昔、語学学校に通っているころ、トルコ語で何かテーマを決めて発表するという課題があった。そのとき、私は「デニズ・セキとスキャンダル」という題名で発表した。
「何?おもしろいものを選んだね」と先生は言った。
デニズ・セキは、オカンバユルゲンという才能あふれる芸能人とつきあっていたが、そのあと、別れた。そして、そのあと、あまり精神状態がよくないみたいと聞いた。
妻子あるクラリネット奏者とつきあって、世間の批判を受けている。
私は、2007年の春だったが、でぶっちょの浮気相手の奥さんが大きく新聞にのっているのを見た。子供もいるし、私には権利があると言っていた。
私は、その大きな体を見て、好感がわかなかった。妻であるというだけでそんなに権利があるのかな?あるんだろうけど、なんか、違うような。受ける印象から、機知や軽やかさや、そういうものがなかった。努力しないでふてくされているみたいな。
 それに、セキの肩をもてば、苦しいときに心に入り込んできた男性がいて、その男性がやめると言いださなかったなかったなら止められない、そういう状況も分かる気がした。デニズ・セキの肩を持ちすぎているかもしれない。ファンだから。
もちろん、妻子ある人との恋愛は人に迷惑をかける恋愛だし、たくさんのバッシングにあってその報いは十分に受けているだろうし、次に行くべきだと思うけれど・・。

デニズ・セキの声を聞いていると、中森 明菜ちゃんをいつも思い出すのだ。
明菜ちゃんの名曲「難破船」をも歌えそうな声だなと、今回もこのアルバムを聞きながら思っていた。そう。少女Aをうたった明菜ちゃんは、センスにあふれ素敵だった。
デニズ・セキもムードのある素敵な女性である。私は実物を2メートルくらいの近さで見たとき、思わず「かわいい」と声に出してしまった。かわいくてセクシーです。
そして、また、私生活でも、明菜ちゃんがマッチと別れた後、見ていて明らかに落ち込んでよくない状況だったことなども思い出すのだ。
 きっとセキも明菜ちゃんも、感情の部分の深い、深い人なのだ。

飽きずに私はこのアルバムを何回も何回も聞いている。
私生活の是非に関係なく、歌はすばらしく、何より、好きだなと思って聞いている。

ラベル:


2008年11月13日木曜日

 

特集「オルハン・パムクの世界」を読む 現代が抱える様々な価値観が盛りだくさんの彼の作品を読んでみたくなりました。

昨夜は、「トルコとは何か」という本の「Ⅱ オルハン・パムクの世界」の部分を読んでいた。
(別冊 環 ⑭ 藤原書店 3200円)
一番印象に残ったのは、
莫 言 (Mo Yan )という人の文章{「雪」の鑑賞と分析}の中の一説だ。

『雪』がこれほど広く論議を引き起こし、これほど強い振動を生み出せた理由は、そのポリフォニーと道徳観の多重性にある。
とした上で、
もちろん作家は社会問題に対して自分の見方があるし、自分の道徳基準を持っているが、世界で起こった多くの重要な問題に直面した時に、作家は自分に限界があることを認識すべきだ。なぜなら自分が正しいと思う思想は、実は歴史的な限界と個人的な偏見を帯びているかもしれないからだ。
と述べている。
特に、「歴史的な限界」、「個人的な偏見」というのが、分かる気がした。
こういうものから、誰も逃れられないし、
また、国が違うと、抱えるものが大きく違う。

私は、同時代のこのトルコの作者が、どのような作品を書いたのか、読んでみたくなった。

また、
パムクの母親が、彼に、芸術への野心よりももっとすばらしいことは、慎み深く勤勉に生きることだと語っていたというエピソードも興味深かった。「参照:さあ、この街を眺めよう 『イスタンブール』を読む ロータル ・ミュラー」実際の彼は、ノーベル文学賞をもらうことにより、世界的な広がりをもって論議の的になったし、
非トルコ的という理由で告訴されるなど社会的にも無関係でいられることを許されず、母が望んだ静けさとは、程遠い存在となった。

私はこの本で、何人かの人の、パムクとその作品についての文章を読んで、ぜひ、実際の作品を読んでみたくなった。
自分の興味と重なるたくさんの葛藤や価値観、どうにもならなさなどが、盛り込まれているような印象を受けたからだ。


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2008年11月11日火曜日

 

トルコ語缶バッジ




トルコで買った缶バッジを紹介。
トルコにもあるんだ!と文房具屋で1つ100円くらい(1ytl)
だったのを買いました。
緑の方は「unut gitsin」
意味は「(その人のことは)忘れて。(その人を好きに)行かせなさい。」
くらいの意味だと思う。
赤いバッジの方は「takma kafana」
意味は、「あなたの頭の中に置いておかないで。(そのことは、もう考えないで)」のトルコ語。
いろいろあったであろうバッジの中から、
この2つを選んで買った当時の私の心境って・・・。

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