2006年11月30日木曜日

 

チャイダンルック


うちの、チャイダンルックです。Karacaというトルコのメーカーのです。この丸い形がかわいくて、買いました。
チャイの入れ方は、上のやかんに葉っぱをいれて、下に水を入れてコンロにかけます。沸騰したら、下のお湯を上に移して、下に水をたして、もう一度火にかけて沸騰させます。
チャイダンルックはコンロの上にかけたままにして、コップにつぎます。上の濃いチャイをついで、下のお湯でうすめて、できあがりです。トルコの人は、いつも、あつあつのを飲むことを好みます。

2006年11月29日水曜日

 

刷りガラス




昨日の夜、仕上げて、今日、工場に持って行きました。写真のように、シールを貼った状態を、工場に持っていくと、おじさんがこのようないでたちで、ふきつけてくれて、シールのないところが、白く、すりガラスに変わります。(06年11月28日)

2006年11月27日月曜日

 

ハジ(メッカへの巡礼)が始まる。11月27日

今朝、トルコのニュースを見ていたら、ハジ、つまりサウジアラビアのメッカへの巡礼が始まりますというニュースが流れていました。イスタンブールの街でも、お祝いしていて、おじさんやおばさんが、「インシャラー(できれば、)メッカに行きたい。」と言っていました。
これ(写真)は、巡礼に行ってきた人のおみやげとして、去年ですが、いただいたものです。(正確には、いただきものを、いただきました。)お皿の中身は、なつめやしです。
乾燥フルーツ。断食期間も、大々的に売り出していました。夕方、断食明けの食事で、一番最初にこれを食べるらしいので、皆、その期間は、大量に買っていたのでしょう。
甘くて、干し柿に味が似ていて、大好きです。体にもよさそうです。 」今年は12月22日から1月19日までだそうです。ニュース、やっぱり分かってなかった。

2006年11月26日日曜日

 

ギュルベン・エルゲンのコンサート(Konser- Gülben Ergen)


ギュルベンエルゲンという歌手のコンサートに行ってきました。彼女、妊娠7ヶ月半だとうです。太い声量で、がんがん歌ってくれました。間のMCのうまい人。コメディアンみたいだと思いました。自分のおなかの赤ちゃんに話しかけてみたり、産院での様子を一人芝居してみたり、ほおっておいたら、いつまでもしゃべっていそうでした。(^^)自分でも、「そろそろ、私、歌、歌うわ・・あとで、またしゃべるから」と言っていました。
コンサート会場は、おばあちゃんも、17,8歳の女の子も来ていました。女性ファンが多いように感じました。コンサートに行っていつも驚くのは、帰り際のみんな早いこと。途中で、「ギュルベンギュルベン」という、日本のアイドル全盛時代のようなコールは起こっていたけれど、帰りは、ギュルベンが消えた瞬間、一気にみんな立っていました。
彼女の歌はブラスバンドの演奏にとっても合っていました。主人はギュルベンエルゲンの歌が好きだそうです。主人は、東京スカパラや、フュージョンが好きだから。サックスを吹く彼は、トランペットがうまかったなあと感心していました。
私は、歌の傾向としては、やっぱり、ハンデイェネルのほうが好きと再確認。強いて言えば、ギュルベンが聖子ちゃん派、私の好きなハンデイェネルが明菜ちゃん派だと思います。ギュルベンは、常にかわいく明るくしっかり歌い、ハンデイェネルは、もっとだるい感じで、時に横にかまえて、ムードがある。あくまでイメージですが。明るくて楽しいひとときでした。彼女のように、ぎゃはっと大きな口で笑いたくなります。彼女のこれからを、見守っていきたいと思います。(11月24日、ボスタンジにて)
Gürben Ergen'in konserine gittim.
O çok neşeli ve güzel konuşan bir kişiydi.
O simdi 7.5 aylık hamile.
Doğum hastanesi'deki hamile bayanlarla yaptığı konuşumayı gösterdi.
O gülerken ağzını çok açıyor.
G.E müzik grubuyla çok uyumluydu.

Konser bitince herkes hemen kalkıp yürümeye başladı.
Ben de buna çok şaşırdım.
Japonya'da şarkıcı gittikten sonra onun 2.3 kere daha geleceğini herkes bildiği için kimse kalkıp gitmiyor.

 

手作りジャム  Kayısı reçeli

メイドのおばちゃんが、手作りジャムを持ってきてくれました。トルコのジャムというのは、果物がまるごと、ごろごろ入っています。この、カユス(小さい固いもも)のジャムも、半分に切っただけの具がごろりごろり入っています。写真は、エキメッキに載せたもの。ヨーグルトと食べると、さらに、最高でした。ジャムはトルコの朝ごはんに欠かせないものなので、たーくさん、作るのだと言っていました。主人も娘も大好物だと言っていました。
こういうのを食べるのって幸せだよねえ。
今、私は主人がトルコ人からもらってきたカリンとにらめっこしながら、日々過ごしています。カリンはそのまま食べるのには私たちには、渋すぎて。(トルコ人はそのまま食べている)。ジャムかリキュールにしようと思っているのですが、やり方もピンとこないし、まとまった時間が必要なので、台所で、毎日眺めるだけで、日々が過ぎています。近いうちに・・。
ちなみに、ジャムはトルコ語で「レチェリ」で、果物がまるごとそのままの形で残ります。私たちが普通、ジャムと聞いて思い描く、具の見えないジャムは、トルコ語で、「マルメラット」という別の単語で呼ばれています。ジャムというと、この具ごろごろのジャムとなるとは、甘いもの好きらしい、トルコ人らしいなと思いました。それから、果物が安くておいしくて、働き者たちのトルコ人だから食べられるぜいたくなものだなと思います。逆に今、日本で、こんなジャムを作る家は少ないし、買うと、とても高いだろうなと思います。
Bir Türk bayan bana Kayıs reçeli verdi.
Japonyadaki marmelat reçelden daha güzel .
ve genellikle Japonlar evlerinde reçel yapamıyorlar.
Bu kayıs reçeli çook rezzetliydi.
Japonyada bu kadar güzel reçel yemedim .

 

イルミッキ・ヘルヴァス(トルコのスゥィート) İrmik Helvası

イルミッキ・ヘルヴァスというトルコのスゥィートです。 トルコ料理のロカンタで食べていたら、終わりころ、サービスですと言って、持ってきてくれました。
「なんて食べ物?」と聞くと、「イルミッキ・ヘルヴァス」と答えてくれました。口の中に、つぶつぶとした食感が残りました。甘すぎず、変なにおいもせず、(ときどき、こういうとトルコの甘いものは、においが気になるときがある)さっぱりとして、おいしかったです。
上手に作ってあったからだと思います。
イルミッキ・・ってもしかして・・と思って、家に帰ってから、捜してみたら、ありました。うちにも、「イルミッキ」が。イルミッキというのは、小麦粉の袋のようなのに入って売っています。中は、写真のようです。小さなつぶつぶ。袋には小麦が材料とあるので、小麦の挽き方が違うだけで、小麦粉の兄弟姉妹だろうと思っているのですが?私の大好きな、トルコ料理、イチリィキョフテの皮を作るときにも、使います。イチリキョフテの皮のもぞもぞ感も、このイルミッキによるものだと思います。イルミッキが入ると食感がよくなる!!日本では使わない材料だけど、たまらなく好きな材料となりました。
Türk lokantada yerken ikram diyerek,garson bu tatılıyı getirdi.
İrmik Japon yemeğinde hiç kullanılmayan bir malzeme.
İçli köftenin içinde de irmik olduğu için yedikten sonra tadı damağımda kalıyor.

2006年11月24日金曜日

 

11月24日 先生の日 Öğretmenler günü kutlu olsun


11月24日は、先生の日だそうです。
これは、スーパー「ショック」で売っていたバラ(4YTL)。
お金もちの家の親は、先生に高価なピアスを送ったりもすると聞きました。
今日は、トルコ語の授業で、ニュースを読みました。バトマンという人口800人のトルコ南東部のどこにでもあるような村での話
3年前まで、女の子は、一人も、小学校に行ってなかったそうです。
それが、3年前に、一人のジャナン・タイランという女の先生が来て、努力した結果、今では、女の子も一人残らず小学校に行くようになったそうです。そういうニュース記事でした。
Bügün Türkçe ders aldım.
TEŞEKKÜRLER ÖĞRETMENİM diye bir haber okudum.
BATMAN-Güneydoğu nun Köyü - 3 sene önceye kadar kızlarını okula hiç gönderilmediği köydı. 3 sene önce
Canan Taylan diye bir öğretmen geldi.'Kızlarnız cahir kalmasın' diyerek tek tek evilere ziyaret etti. Simdi köyde okula gitmeyen bir kız bile yokmuş.

2006年11月22日水曜日

 

タシュケバブ(トルコ料理) Taş kebabı

タシュケバブという料理名を、たまに、見かけて、気にしていました。だって、石のケバブという意味なんですもの。
サフランボルからのイスタンブールへの帰り道、サービスエリアのロカンタで、並んでいた料理を指差して、「これ、何?」と聞くと、「タシュケバブ」と言ったので、さっそく食べてみました。
なるほど。大きさもちょうど、石みたいだけど、食べてみてさらに、石みたいに硬いという意味もあると思いました。
これ、トルコ語でインジック、ふくらはぎの部分の肉です。 筋にあたります。
引越して、すぐのころ、この、インジックばかり食べていました。
なぜなら、薄切りにしてほしいという意味で、薄いという意味の「インジェ」と肉屋でいつも言っていたのですが、私の言う「インジェ」が、「インジック」に聞こえていたようです。
本当は、筋でなくて、もっと柔らかい部位も売っていたのに。
そのことに、気づいたのは、ずっとずっと後でした。

Taş kebabı nasıl bir yemek diye uzun zamandır merak ediyorudum. İlk defa yedim.

 

コロッケ・・・食に頑固なトルコ人


トルコに来てから、特によく作るようになりました。コロッケです。
なんし、トルコのじゃがいもは、安くておいしい。
普通に買うじゃがいもが、「北海道産地直送」のような、おいしさです。
野菜も肉もいっぺんに取れて、子供も大好き。
コロッケは、食に頑固と言われるトルコ人にも、必ずと言っていいほど、好評なんですよ。

ただ、日本のようなパン粉が売っていないのが、不便。
トルコのパン、エキメッキを、適当に切って、半日、広げておいておいて、フードプロフェッサーにかけて作ったパン粉は、そりゃあ、おいしいけれど、めんどくさい。
めんどうなときは、トルコの「ガラタウン」というもので、代用します。これは、シュニッツェル(鶏肉を薄くして、カツにしてあるもの、ウィーンが有名。)用のパン粉で、とても細かいです。

余談ですが、トルコ人って、本当に、食には基本的に、頑固だと感じます。
日本食は基本的には、食べられません。
第一、醤油味が食べられないです。
それから、料理(煮物など)に砂糖が入っているというのも、ダメだそうです。
最初、スーパーで砂糖を探すのに、苦労したもの。調味料コーナーにないから。

トルコ人のお客様のときは、私たちが普段食べているものを作っても、基本的に、気に入ってもらえないことが多いです。
みんな、「お母さんの作るトルコ料理が一番さ」と思っているし。
やっぱり、下手でも、トルコ料理を作って用意します。
私たちが普段食べているものでも、気に入ってもらえるのは、この、コロッケくらい。
緑茶を入れてあげたら、「わ、ヨスン(海草)のにおいがする。」と顔をしかめられた時には、驚きました。
海草は、トルコ人のもっとも、苦手とする食べ物のような気がします。

2006年11月21日火曜日

 

トルコで動物園。 

今日は子供と子供のお友達と、動物園に行きました。
家から1時間くらいのところです。
大人だけ入場料15YTLがかかりました。
15ytlは、1200円くらいですが、トルコの1200円は、日本人が思うより、大きなお金です。
平日昼間とはいえ、あまりにも人が来ていませんでした。
本当かウソか、トルコでは、貧しい人もいるのに、動物にまで、えさをあげる余裕がなくて、動物園の動物が飢え気味だといううわさを聞いたことあります。
イスタンブールの旧市街でも、前は、小動物がいる公園があったけれども、(ギュルハネ公園)、今は経営できなくて、動物がいないと聞きました。
この動物園に来たのは、3年前以来でした。3年前の印象は、やたらに、柵の中に犬が入って、並んでいたのが印象的だったこと、それから、うさぎが、逃げ出していたのを思い出します。
そして、何よりも、忘れられないのが、動物との距離が近くて、柵の隙間が甘くて、通路が狭いことです。うっかり、小さい子供が手を入れたら、指を噛み切られてしまいそうで、狭い通路の真ん中を、どきどきしながら、歩かせた記憶があります。
あのとき、3歳なりたてだった子供も、今回は、6歳になっていて、ものがだいぶ分かるので、だいぶ、リッラックスして動物をみることができました。
それにしても、熊など、手を出せば、届くところにいて、びっくりです。
だちょうの柵も、誰でも、簡単に開けられそうな柵で、驚きました。
よく気をつけながらも、日本では信じられないような真近で、動物たちを見られて、
子供も大人も、楽しく過ごしました。
ぞうは、作り物だったけど ちゃんと、ライオンもキリンもいましたよ。

 

トルコ語の個人授業にて、トルコの新聞を読む


久しぶりに、トルコ語の個人授業を復活させました。とても、よい先生に出会えて、レッスン中1時間は、とても中身が濃く、授業を受けている間に気持ちがしゃきっとしてきます。前回の宿題は、新聞記事から3つ選んで読んで、それについて、説明するというものでした。11月 14日の記事から、3つ選びました。
写真の左のものから順番に、要旨を書いてみます。
1、31歳の警察公務員の男が、4歳の息子と妻、妻の母、妻の姉妹の4人を殺した。男は、1年前に、恋人に、この皆殺しについて話していて、その証拠として恋人との携帯で撮った写真が出された。妻は去年の11月に役所に離婚を申し入れていたが、許可をもらえず、あきらめていた。
(先生の話では、トルコでは、こういう近親者の殺人事件が、残念ながら、毎週、起こっているということです。)
2、アメリカが、オリーブ油のトルコからの輸入について、見積書を出してくれないため、関税の問題を克服できないで、困っている。
3、6歳の男の子が、小学校で、心臓発作で死んだ。彼のお兄さんも、6年前、同じ年で、同じ学校で同じ、病気で死んでいる。この両親は、親戚同士の結婚だったらしい。

2006年11月19日日曜日

 

ピシマニエ(トルコの綿菓子みたいなお菓子)

ピシマニエというトルコのおやつです。綿菓子みたいなものです。サフランボルに行く途中、サフランボルまであと1時間というところの、ガソリンスタンドによったとき、売店で子供にねだられて買いました。
売店のおじさんは、毎日、サフランボルに向かう大きな観光バスで、日本人が4、50人やって来る、そして、この、ピシマニエの箱を山のように買って行くと言っていました。
ピシマニエという名前は、ピシマンという、「後悔」という意味のトルコ語から、来ていると聞いたことがあります。あまりにおいしすぎて、もっともっとと食べて、食べ過ぎて後悔してしまうからだとか。
これ、150グラムで、2YTL(160円)だったんだけど、イスタンブールだと、倍くらいの値段、してたと思う。どこででも、買えないし。やっぱり田舎は物価が安いんだなと思いました。
でも、今、ネットで見たら、1箱、(250グラムだったけど)1450円で売ってるのね。
横浜の世界フェアでも、トルコのお菓子、ピシマニエが1箱、1400円で売っていて、買ってみたという記事が載っていたし。日本に持って行くと、めちゃくちゃ、高くなるんやね。びっくりしました。
愛知万博のときも、こっち(トルコ)で買う20倍くらいの値段がついているものも、あって、びっくりしたけれど。
このピシマニエ、甘くておいしくて、みんな大好きです。私も、今回は、だいぶ食べちゃいました。
だんだん、トルコが長くなって、甘すぎるものに、抵抗なくなってきているのもあるなあ。
6歳の息子は、これに、さらに、チョコレートがかぶせてある、超超甘いのが、さらに好きです。
Safranbolu'nun yakınındaki bir mağzadan pişmaniyeyi aldım.
Adam 'Her gün 40.50 Japon turistlar buyuk bir otobüsle bu mağzaya geliyorlar.
ve pisimaniyeyi çok alıyorlar'dedi.
Ben pişmaniye içın 2 ytl verdim.
Piçmanye için Japonyada fuar zamanı 14 ytl harcamamamaz lazımmış.
Onun tadı Jyaponyanın tatılısı WARAGASHI ye benziyor.

2006年11月18日土曜日

 

11月10日

2年前の11月10日は、洗濯物を乾しているとき、ブーーブーーと大きな車のクラクションの音がして、びっくりしました。目をあげると、歩いている人も、皆、身動きもしないで、立ち止まっているし、坂を上っている途中の車まで、全部、止まっています。まわりみんなが止まっているので、一瞬、私も、ぴくりとも動けなくなりました。(うちの中に入ることもできなかった)
後で、「今朝のみんな止まっていたのは、なに?」と聞くと、アタチュルクさんが亡くなった時間に、みんな敬意を示してそうするのだと聞きました。市バスに乗り合わせたおじさんも、「そうか。君もやってくれたのか、ありがとう」と、お礼を言われたのが、印象的でした。
今年は、トルコに住んでいるんだから、ちゃんと、この黙祷?をやろうと思って、まだかな?まだかな?と思いながら過ごしましたが、ちゃんと時間を知らないものだから、昼になってしまいました。
後で思えば、何の音だろう?というくらいの、クラクションの音を感じたときがあったから、あれだったのかなと思いました。国民が自主的にやることだから、毎年、大きな音がなるとは限らない。自分でちゃんと時計をみて、やらないとなあと思いました。
イスタンブールのドルマバフツェ宮殿の時計は、今も、アタチュルクさんが亡くなった時間のままになっているという話は有名です。彼は、1923年に、今のトルコ共和国を作った建国の父と言われていて、
国民の尊敬を集めています。街でも、トルコ人との会話の中でも、たまに、「アタチュルクを知っているか。すばらしい人だ。」ということを耳にします。トルコのお金のお札は、全部、彼の顔です。

2006年11月16日木曜日

 

ハマムに行きました

旧市街の観光地の近くにある、ハマムに行ってきました。ここは、観光化されていて、入り口で、10種類くらいの言語の案内を示してくれました。5種類のコースの中から4番目<あかすりと、マッサージ、シャンプーのセット、38ytl(2500円くらい)>のコースを選びました。まず、個室で服を脱いで、パンツだけになって、用意してある布にくるまってから、ハマムの中に入ります。でっぷりと太ったおばちゃんが、トイレに行ったら、体を流して、真ん中の台の上で寝ているように、言いました。台の上はあったかくて、天井には、小さな明かり窓がたくさんあって、光が漏れています。そこで、長い間、待っているうちに、いい具合にふやけて、アカも浮いてくるようです。(汚くてごめんなさい)
長い間、待った後、おばちゃん登場。「チュカル(脱ぎなさい)」の一言で、パンツまで、脱ぐことに。。予想外の展開に、私たち(女3人で行きました)は、少し、動揺しましたが、ここは、おばちゃんについていくしか、ありません。普通、ハマムでは、パンツだけ着用のことが多く、このパンツは、黒いパンツを、はいていくのがお薦めです。なぜなら、おばちゃんたちも、皆、黒いパンツをはいているから。多分、すけないからでしょう。(今回は、それも、意味がなくなったけれど)
まず、寝転がらされて、体中、垢すりしてもらいます。次にふわふわのタオルに石鹸をつけて、体中、洗ってくれます。その後、手でマッサージをしてくれます。これが、本当に上手で、気持ちよかった。多分、マッサージをしてもらうと、悪いところが痛むのでしょう。私は、肩とふくらはぎが痛かった。
その後、水道のあるほうに移動して、これでもかというくらい、髪をシャンプーで山盛りにして、洗ってくれます。顔中、シャンプーになって、どうやって息をすればいいか、分からなくなるほどです。友達も、窒息するかと思ったと言っていました。おまけに、顔もシャンプーで2回ほど、手で、もしゃもしゃ洗われました。
コースのすべてが終わると、自分できれいに流して、ハマムから出ます。
ふかふかの大きなタオルが用意してありました。
着替え終わって、みんなで集合すると、みんな顔がつるつるで、化粧のりがよくて、お互いに、きれいだと褒めあいました。本当に、ファンデーションが少しで、きれーいに肌にのりました。
ターキッシュエステだと、案内にも書いてありましたが、本当に、エステだなあと感じました。

2006年11月15日水曜日

 

サフランボルの民家で。回る棚。


 小さい子供というのは、触ってはいけないものを触ったり、開けてはいけないところを開けたりと、いたづらのつきないものです。
 カイマカムラル・エヴィという公開されている民家の中で一番、有名な場所を訪れたときです。ここは昔の民家をそのまま博物館としていて、昔の暮らしがマネキンで再現してあります。
 6歳の息子が、何気なく、閉まっている扉を開けたところ、あるものを見つけました。このように3段にわたって、食器が載せられていて、しかも押すとくるりとまわり、ただの壁にかわります。裏にまわると、隣の部屋にも扉があって、そこをあけると、まわってきた食器が取り出せます。忍者屋敷みたいだと大喜びです。そして、それを見つけた息子は、家族に褒められました。
 後で、本を開いて解説を読んでみると、男のお客さんに飲み物などをふるまうとき、女の人が姿を見られないように、ここに載せて、くるりとまわしたそうです。 
 トルコ語で、ドンメ・ドラップ(回る棚の意味)というそうです。こんな文化的におもしろいものを、何の解説もせず扉も閉めて、ほおってあるとは。トルコだなあと思いました。日本だと、きっちり説明の看板が出ていて、鎖でもして、遠くから眺めることになりそうです。(なんといっても、ここは世界遺産の街の一番有名な「民家を利用した博物館」ですから。)
 息子が示した、小さい子供特有の好奇心、いたづら心のおかげで、見ることのできたものでした。

 

サフランボルの家、窓際(eyvan:エイヴァン)

サフランボルの家には、各階とも、こういうスペースがあります。部屋と部屋の間の共同スペース。白い布には、どれも、凝ったレース編みがほどこされています。こういうものに、心や手間をそそぐことに、私は魅かれます。トルコの女の人の優しさのようなものを感じます。
外にほとんど出ることのなかった女の人たちが、外を見るのは楽しみだったそうです。しかしながら、イスラム教の考えとして、女の人が他の人の目に触れることは、よくないとされていたため、窓には、外から女の人の姿が見られないように、格子がはめられていたようです。

2006年11月14日火曜日

 

サフランボル(世界遺産)の街


イスタンブールから車で4時間のところに、世界遺産、サフランボルの街があります。どの家も白壁で、開き戸の窓がついていて、かわいらしい外観です。中はまた、独特の造りです。各階とも、真ん中の共同スペースを中心にして、部屋がぐるりと輪のように配置されています。
展示されている昔の民家に行くと、まさしく、民族博物館です。昔のトルコの人の生活の仕方を思い、今のトルコ人に思いをはせることができます。

2006年11月10日金曜日

 

エキメッキ(トルコ人の主食のパン)


トルコ人の主食です。ひとつ、0.3ytl、25円くらいで買えます。毎日、バッカルという万屋さんや、スーパー、パンやさんに、新しいのが何本も届きます。中は、ふわーっとしてやわらかくて、おいしいです。

 前々から、小学校2年生の息子が、お弁当に、サンドイッチを持って行きたいなと言っていました。今朝、思い立って、パンを買いに出ました。
 朝6時40分、長男と供に、バッカルに行ってみると、まだ、閉まっているようでした。店の前の小さなトラックの前におじさんがいて、「いつもはもう、開いているんだけど・・5分か10分もしたら、開くよ。」と言ってくれました。トラックは野菜を積んでいました。「待っていな、イスもそこにあるから」とおじさんは言いましたが、あんまり時間がないからと私が言うと、「そりゃそうだ」と、おじさんは言いました。
 「少し遠くなるけど、パンやに行こう」と息子に話して、道を歩き始めました。だいぶ歩いたとき、後ろのほうから、「パン1つ、もらえますか。」という大きな声が聞こえました。振り向くと、さっきのおじさんが、別のトラックに聞いているみたいでした。そのちょっと後、「おーーい。」とまた、おじさんが、今度は私たちを大声で呼びました。行くと、手にこのパンを握っていて、「袋はあるか?」と言います。「ありがとう」と袋はないので、片手に握って、「いくら?」と聞くと、「オレが払っとくから」と言います。それでも、お金は受け取ってもらいましたが。
 「なんだか、トルコ人らしいな」と思いました。日本だと、「まだ閉まっているよ」でお終いだと思うのですが、トルコ人は、よくこういった親切をしてくれます。情があついんだよね。
 思いがけず、早くパンを手に入れることができて、家に帰って、おいしいサンドイッチを作ることができました(06年11月9日)

2006年11月8日水曜日

 

ピエール・ロテ 室内へ

ピエール・ロテの室内の方です。途中、雨が降ってきたので、中に入りました。雰囲気があるでしょう。
中では、トルココーヒーをいただきました。トルココーヒーは、とても濃いので、水を後で、持ってきてくれました。その気遣いに、心の中で、ありがとうと言いました。
トルココーヒーを注文するときは、必ず、砂糖の量を一緒に言う必要があります。砂糖の量は3種類。「アズ・シェケルリ」(砂糖を少し)、「オルタ・シェケルリ」(砂糖を中くらい)、「シェケルリ」(砂糖をたっぷり)の3種類です。
私はいつも、「オルタ・シェケルリ」(砂糖を中くらい)と言います。
本当に、トルココーヒーっておいしいなと思います。
家にも、トルココーヒーを作る専用の鍋がちゃんと買ってあります。でも、白状すると、家で作ったことが、ないのです。近いうちに、作ろうと思っています。
雨のちらつく天候で肌寒かったため、室内には、ストーブがありました。なんとストーブの似合う部屋だろうと思いました。
(2006年11月7日)

 

ピエールロティ


ここは、フランスの作家、ピエールロティがここで小説を書いたことで、有名なカフェです。景色が最高です。ここで、ものを書いたりしてみたかったんだ。
今日、実現しました。右にはチャイ。トルコの地図を開いてもらうと分かりますが、北に伸びるボアズ海峡とは別に、北西に伸びる水の流れがあります。金角湾です。ピエールロティは、この金角湾を北のほうから、ガラタ橋に向かって北から南に見下ろす形になります。近くには、エユップという場所があります。エユップは、大きなモスクを中心とした町で、街全体に神聖な空気がただよっていて、心が落ち着きます。今度、また、行きたいです。エユップのモスクに行くときは、大き目の、髪がちゃんと隠れるようなスカーフを持っていく必要です。

ラベル:


2006年11月5日日曜日

 

ボォスポラスマラソン



06年11月5日、きょうは、ボォスポラスマラソンでした。トルコのアジア大陸とヨーロッパ大陸を結ぶ大きな橋2つのうち、ひとつを車を通れなくして、マラソンが催されます。普段、歩けないところを歩けるので、いい記念にもなるし、家族みんなで参加しました。一番短い8キロのコースで。
始まりのときには、イスタンブールの市長さんもバスで来ていて、市民に挨拶をしました。

 

アーダ(トルコの脱毛)


これは、トルコの脱毛です。アーダと言います。この鍋の中で、熱くしたものを、肌に塗って、その後、テープを貼って、一気にはがします。スーパーで材料を売っていて、家でやる人もいるそうです。私は、美容院でやってもらいました。

2006年11月4日土曜日

 

バックギャモン(トルコのゲーム)


タブラは楽しい。タブラというのはトルコ語です。一般的にはバックギャモンというそうです。といわれても、日本では、あまりなじみ、ないよね。
トルコでは、カフェなどに何気なく置いてあって、男の人たちがよくやっています。2人で対面してやるゲームでさいころを2つふって、出た目によって、丸い駒をを動かして、自分の陣地に移動させていきます。全部の駒が自分の陣地に移動できた後は、これまた、出た目によって、どんどん、取っていきます。早くなくなったほうが勝ち。なんてことない単純さがよいのだと思います。ひとつのスペースが6ずつなので、慣れるまで、移動するとき数えにくい。10進法に慣れているからね。でも、慣れると簡単。
うまくなりたくて、コンピューターで対戦してみました
私がやったサイト、トルコ語で登録しないと、できないのですが、一応、URLを載せておきます。
http://oyunkayit.tr.net/

その後、8歳の息子とやってみたら、飲み込みの早いこと。・・・彼に慣れるとかそういう時間は必要ありませんでした。それどころか、息子に最初から、「ママ、こうしたら?」と指摘されることも、多かった。「さっき、どうしたっけ?」とか言うのは、息子が全部答えてくれるし・・・年の差?それとも、頭の差?いやになっちゃうな。。

2006年11月3日金曜日

 

タルハナスープ(Köy Tarhanası)

昨日、ベベッキで、タルハナスープの素を 、オーガニック食品の店で買いました。このような粉です。今日、メイドさんが作ってくれました。おいしかった。優しい味でしたよ。中に、たくさん、ビタミンが入っていて、すごく体にいいんだよと教えてくれました。
外では飲んだことがあると感じましたが、家で食べたのは、初めてでした。

作り方は、小さめの鍋に、この粉をスプーン3杯、油スプーン1杯、それに、4人分くらいの水を加えて、かき混ぜながら煮るだけです。
この粉の中には、[ヨーグルト、クルムズビベル、玉葱、小麦粉、マイダノス、ミント]が入っているそうです。(昔は、村でとれる植物で作ったそうです。)

毎年、彼女のお母さんは、家でこのオレンジの粉を手作りして、保存しておくそうです。手作りインスタントですね。

<手作りインスタントの作り方>
①今書いた材料(ヨーグルトや野菜や小麦粉)を入れ物に入れて、時々かきまぜ ながら、1週間、保存する。
(発酵するのかな?詳しいことはトルコ語のため、理解不能でした。。)
②きれいな布の上に、スプーンで載せていって 、広げて、2,3日乾かす。
③乾いたら、手で布からはがしとる。
④入れ物に入れて、保存する。
⑤タルハナスープを飲みたくなったときに、この粉と水と少しの油を一緒に鍋にいれて、煮詰める。
(今日メイドさんがやってくれた作業)

とても労力のいる仕事だと話してくれました。

また、このスープの話もあると言って聞かせてくれました。

<お話>
昔、王様(注意:トルコ語でパティシャフという、宗教的な特別な王様らしいです。)の娘が病気になって、治る方法がなかったそうです。
その時、村のある女の人が、この娘に、村の植物で、この作り方で、このスープを作ったそうです。そしたら、日に日に、よくなりました。

その後、トルコ人は、このスープを作るようになったそうです。
トルコ人は、いつも病気になった時、このスープを飲むそうです。
赤ちゃんも6ヶ月になったら、このスープを飲み始めるそうです。

以下トルコ語で

Hikaye
Patişahının kızı hastaymış.Tedavisi yokmuş.Köylü bir kadın bu çorbayı yapıp verdi.O kız o günden sonra iyileşti.Ondan sonra Türkler hasta oldıgı zaman bu çorbayı içiyorlar.Bebekler de 6 ay sonra içiyor.

 

ベベッキ散策


今日はベベッキ散策をしました。ベベッキはイスタンブールの海辺の町です。このカフェはLUCCAという名前で、セゼンアクスなどのトップスターがたくさん来ることで、雑誌などにも載り、有名だとうです。私はここで、コーヒーのアイリッシュを頼みました。その後、本屋に行きました。3階建てで、2階には、屋外のカフェがあります。3階は子供の本だけで、遊べるようにもなっています。その後、オーガニックの店にも行きました。

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