2008年11月26日水曜日

 

アシュク・デニズィ というアルバムを聞きながら・・

最近車の中で、ずっと「アシュク・デニズイ」というトルコの女性歌手、デニズ・セキのアルバムがかかっていた。
この人の歌声は本当に私に合う。
前聞いていたときとは、違う言葉が体に入ってくる。
音楽の不思議なおもしろさだ。
「ブラク ベニ チョック・イステルセン、ブラク・ベニ。
ブラクマ・ベニ。
イステメデン クルドゥイサム オズルディレリム」
この、ブラクという単語のニュアンスが今だにはっきり私には分からないのだが。
「私にかまわないで、もう飽きたのなら、もう、手放して。
やっぱり、手放さないで、気分を害したならごめんなさい。そういうつもりでなかったのだけど。」
という意味かなと、勝手にだいたいで理解しながら聞いている・・
ブラクと言った直後にすぐ反対の意味のブラクマと言って、乱れ具合がいい歌だなあと思いながら。
また、「ブ シェヒレ ソンバハル ゲルディ コヌシュマビレ ベニ アンラ アウチラル」と聞こえてくる。
「この街に秋がやってきた。話をしないでも私を理解して。木々よ」

昔、語学学校に通っているころ、トルコ語で何かテーマを決めて発表するという課題があった。そのとき、私は「デニズ・セキとスキャンダル」という題名で発表した。
「何?おもしろいものを選んだね」と先生は言った。
デニズ・セキは、オカンバユルゲンという才能あふれる芸能人とつきあっていたが、そのあと、別れた。そして、そのあと、あまり精神状態がよくないみたいと聞いた。
妻子あるクラリネット奏者とつきあって、世間の批判を受けている。
私は、2007年の春だったが、でぶっちょの浮気相手の奥さんが大きく新聞にのっているのを見た。子供もいるし、私には権利があると言っていた。
私は、その大きな体を見て、好感がわかなかった。妻であるというだけでそんなに権利があるのかな?あるんだろうけど、なんか、違うような。受ける印象から、機知や軽やかさや、そういうものがなかった。努力しないでふてくされているみたいな。
 それに、セキの肩をもてば、苦しいときに心に入り込んできた男性がいて、その男性がやめると言いださなかったなかったなら止められない、そういう状況も分かる気がした。デニズ・セキの肩を持ちすぎているかもしれない。ファンだから。
もちろん、妻子ある人との恋愛は人に迷惑をかける恋愛だし、たくさんのバッシングにあってその報いは十分に受けているだろうし、次に行くべきだと思うけれど・・。

デニズ・セキの声を聞いていると、中森 明菜ちゃんをいつも思い出すのだ。
明菜ちゃんの名曲「難破船」をも歌えそうな声だなと、今回もこのアルバムを聞きながら思っていた。そう。少女Aをうたった明菜ちゃんは、センスにあふれ素敵だった。
デニズ・セキもムードのある素敵な女性である。私は実物を2メートルくらいの近さで見たとき、思わず「かわいい」と声に出してしまった。かわいくてセクシーです。
そして、また、私生活でも、明菜ちゃんがマッチと別れた後、見ていて明らかに落ち込んでよくない状況だったことなども思い出すのだ。
 きっとセキも明菜ちゃんも、感情の部分の深い、深い人なのだ。

飽きずに私はこのアルバムを何回も何回も聞いている。
私生活の是非に関係なく、歌はすばらしく、何より、好きだなと思って聞いている。

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