2009年6月21日日曜日
トルコロケ 森三中さんのトルコ珍旅行
「世界の果てまでイッテQ」という番組。日本テレビで、今日8時から9時の間、やっていました。
そこで、森 三中さんらが、トルコを訪れて、おもしろいことを、やっていました。
ベリーダンスをマネして、ステージで、ビキニのようなベリーダンサーの格好で踊っていました。
すごい。すごい勇気。
以下は番組の解説
ホントの馬に乗り続けたらウエストは引き締まるのか」の実験に、森三中がトルコで挑戦する。3人は、世界遺産カッパドキアを目指し、本物の馬に乗って壮大なダイエットの旅に出発する。
・・・という番組だったみたい。(トルコがテレビでやっていることを知らず、私は「天地人」が終わってから、たまたま見つけたため、番組の一部しか、見ることができませんでした。)
結果は、・・・森三中さんら3人は体重が減り、ウエストも減ったようでした。
ラベル: テレビ番組
2009年6月18日木曜日
この春、いただいたCD.
夏が来ると、この人、セルダル・オルタッチでしょ、海辺でしょ、そういうイメージがあります。
「夏が来た」という言葉があちらこちらで聞かれ、ボスポラス海峡に飛び込んで遊ぶ少年たちの姿が見られているのかなと、遠く日本からトルコの今のシーズンを想像しています。
ラベル: 音楽
2009年6月17日水曜日
トルコ人ピアニスト ファジル・サイ
来月は、ピアノのグレード試験、発表会とピアノの大きな行事が2つ控えている。
月刊piano6月号を買った。
いろんな種類の音楽を知っているというのも、勉強なのよとピアノの先生は言っていた。
その中に、トルコ人ピアニスト、 ファジル・サイが見開き2ページに渡って載っていた。
7月19日(日)にテレビ朝日系「題名のない音楽会」に出演予定だと書いてあった。
一度、トルコでコンサートで聞いたことがある。でも、そのときの彼の演奏がどうだったかというよりも、歴史的な建物を利用したコンサート会場の方が印象に残っている。
この雑誌の紹介を読んで、自分の音楽の世界を持っていること、自身も作曲をされることを知った。
どんな風に弾くのかな・・関心を持った。
月刊piano6月号を買った。
いろんな種類の音楽を知っているというのも、勉強なのよとピアノの先生は言っていた。
その中に、トルコ人ピアニスト、 ファジル・サイが見開き2ページに渡って載っていた。
7月19日(日)にテレビ朝日系「題名のない音楽会」に出演予定だと書いてあった。
一度、トルコでコンサートで聞いたことがある。でも、そのときの彼の演奏がどうだったかというよりも、歴史的な建物を利用したコンサート会場の方が印象に残っている。
この雑誌の紹介を読んで、自分の音楽の世界を持っていること、自身も作曲をされることを知った。
どんな風に弾くのかな・・関心を持った。
ラベル: 音楽
デジカメケースを作りました。
2009年6月10日水曜日
ユン・ゲサンと旅するトルコ (韓国のTV番組) を見る
お友達が、「ユン・ゲサンと旅するトルコ」というのを、撮って渡してくれました。
今朝、見始めたら、おもしろい、おもしろい。
10回分、一気に見てしまいました。(1回分は、とても短いけれど。)
ユン・ゲサンという韓国の俳優さんが、とても率直に感じたことを、表現してくれて、とても好感がもてます。分かりやすく、見ていて、楽しい。
ケバブや、アラスタ市場、カンルジャのヨーグルト、カッパドキア、見慣れたものがたくさん出てきました。
「ムスタファという初代大統領がとても有名だそうです。首都をイスタンブールに移動させたそうです。トルコは97パーセントがアジアで3パーセントがヨーロッパだそうです。ここは、ヨーロッパの空気が漂うところですね。」
水たばこについては、「加湿器の前で息を吸い込む感じ。トルコに来たら、ぜひ試してください。新しい経験です。水たばこと紅茶を一緒に楽しんでみてください。合うと思います。」
じゅうたんについては、「カーペットを買ってあげたいですが、僕には使い道がなくて」
路上の焼き栗屋さんを見て、「僕たちは鶏肉を包んだものをケバブと思っているけれど、これもケバブらしいよ。ケバブは焼いたものやバーベキューというそうです、だから、これもケバブ」
コーランの前のエザーンについては、「今朝、お経が聞こえませんでしたか? あーああんという声、聞こえませんでしたか。アラーを信じろという。」
ユン・ゲサンの言葉で、トルコのことが語られると、とても新鮮でわかりやすかった。
言葉づかいが丁寧だし、素直で、ユン・ゲサンさんの人柄が出ていました。
間に、ユン・ゲサンさんの私的な話、俳優という仕事への気持ち、別れた彼女に会いたいという話が入ります。
「自分は人を愛するのが好きな人だから、仕事と愛と両方は、とても難しい。でも、今は愛の大切なことを知ったから、仕事と愛がぶつかれば、愛をとるかもしれない」・・そんなことも、語っていました。
「俳優という仕事に出会ったときは、とても幸せだった。10年、俳優をやっているから、僕もなかなか根性がありますよ。」 ということも言っていました。
何気に、トルコの基礎的なところを、網羅しつつ、正確かつ簡潔に示してくれる番組でも、あります。
今朝、見始めたら、おもしろい、おもしろい。
10回分、一気に見てしまいました。(1回分は、とても短いけれど。)
ユン・ゲサンという韓国の俳優さんが、とても率直に感じたことを、表現してくれて、とても好感がもてます。分かりやすく、見ていて、楽しい。
ケバブや、アラスタ市場、カンルジャのヨーグルト、カッパドキア、見慣れたものがたくさん出てきました。
「ムスタファという初代大統領がとても有名だそうです。首都をイスタンブールに移動させたそうです。トルコは97パーセントがアジアで3パーセントがヨーロッパだそうです。ここは、ヨーロッパの空気が漂うところですね。」
水たばこについては、「加湿器の前で息を吸い込む感じ。トルコに来たら、ぜひ試してください。新しい経験です。水たばこと紅茶を一緒に楽しんでみてください。合うと思います。」
じゅうたんについては、「カーペットを買ってあげたいですが、僕には使い道がなくて」
路上の焼き栗屋さんを見て、「僕たちは鶏肉を包んだものをケバブと思っているけれど、これもケバブらしいよ。ケバブは焼いたものやバーベキューというそうです、だから、これもケバブ」
コーランの前のエザーンについては、「今朝、お経が聞こえませんでしたか? あーああんという声、聞こえませんでしたか。アラーを信じろという。」
ユン・ゲサンの言葉で、トルコのことが語られると、とても新鮮でわかりやすかった。
言葉づかいが丁寧だし、素直で、ユン・ゲサンさんの人柄が出ていました。
間に、ユン・ゲサンさんの私的な話、俳優という仕事への気持ち、別れた彼女に会いたいという話が入ります。
「自分は人を愛するのが好きな人だから、仕事と愛と両方は、とても難しい。でも、今は愛の大切なことを知ったから、仕事と愛がぶつかれば、愛をとるかもしれない」・・そんなことも、語っていました。
「俳優という仕事に出会ったときは、とても幸せだった。10年、俳優をやっているから、僕もなかなか根性がありますよ。」 ということも言っていました。
何気に、トルコの基礎的なところを、網羅しつつ、正確かつ簡潔に示してくれる番組でも、あります。
ラベル: テレビ番組
2009年6月5日金曜日
映画 そして私たちは愛に帰る を見てきました。
映画 [そして私たちは愛に帰る」 を見てきました。
日本でトルコ映画を映画館で観たのは、はじめて。
トルコの映画館では同じ作品を見ていました。そのとき、よく分からなかったので、
今度はトルコ語ではなく、日本語で見れるということで、とても楽しみにしていました。
????
見終わった感想です(笑)
分からなかったのは、言葉の問題だけではなかったようです。
生きたトルコ語を聞いたり、トルコの景色を見るのは、久しぶりでインパクトがありました。
印象に残ったのは、
反政府運動をしている女の子たちのアパートの一室に、警察が踏み込み、パトカーに連れられて行くとき、「私の名前は・・・。自由を」と大きな声で自分の名前を叫び、パトカーに入っていったこと。
それを、露地で見ていた野次馬の人たちが、その行為に拍手を浴びせていることでした。
いろんな政治背景や歴史などが分かるともっと分かる映画なのかもしれません。
物語は、ドイツで始まります。トルコ人娼婦のところへ、トルコ人の男性老人が訪れます。
何回か通った後、「あなたの稼ぎと同じだけの月給を僕が払うから、うちに来ないか?」と彼女に声をかけます。
この娼婦は、家に来ますが、次の日、老人が殴ったことにより、死んでしまいます。
この老人には息子が一人、ドイツの大学で教授をしています。
彼は、この娼婦から、「娘が一人いて、彼女がトルコで勉強中であること、そして、彼女に勉強させるために、自分は、靴やで働いているとうそをついて、娼婦をやって稼いでいる」と聞いています。
この娼婦の死後、大学教授の職を辞し、
イスタンブールに行き、その娘を見つけ出し、経済的な援助しようと考えます。
イスタンブールを歩いているとき、ドイツの書籍を扱う本屋を見つけ、買い取ることにします。
そして、ある日、休暇をとって、父の故郷、トラブゾンへ。父が来ているかもしれないと思ったようです。
その海岸の砂浜に腰を下ろし、長い間座ったままの場面でこの映画は終わります。
並行して、もうひとつの物語が流れています。
この娼婦の娘の物語です。
彼女は、イスタンブールで、反政府運動に加わっています。「貧しいものにも教育を 」と訴えかけています。ところが、仲間がつかまり、ドイツへ亡命します。
ドイツで、大学の食堂が一番安く食べられるからと、大学(この大学は、さきほどの息子が教授をしている大学です)に潜り込んでいます。そこで声をかけて女の子と友達に。(友達以上、同性愛)
ドイツの靴やで働いているお母さんを見つけようと探しますが見つけることができません。
そうこうしているうちに、見つかって、政治犯としてつかまります。
捕まっているところへ面会に来た大学で知り合ったさっきの女の子に
「隠していた銃を取り出して、仲間に渡す役目」をお願いします。ところが、手に入れた銃の入ったかばんをストリートチュルドレンに奪われ、その子らの一人に撃たれて死んでしまいます。
彼女の死後、この女の子のお母さんは、イスタンブールにやってきます。そして、彼(大学教授)の本やを訪れ、トラブゾンに行くために休暇ととっている間、この本やで番をしているというめぐりあわせがあります。
ちょっとのところで、重なり合うはずの運命が少しずつ、ずれることによって、すれ違い、
別々の人生を生きています。
そして、2組の、トルコ人親子。
ドイツに住む父子。お父さんは、子供のためならなんでもというくらい愛している。でも、かみ合わない。
娼婦を殴って殺してしまったお父さんを、認められなかったり、どこかでは認めていたり。
そして、いつまでも、トラブゾンの浜辺にいる。
ドイツで娘のために娼婦をやる女性。その女性の娘は、「貧しい人に教育を」と、社会運動をして、逃げている。娘も母も、お互いに会いたがっている。でも、会えないまま、お母さんは死んでしまった。
この映画、どこも、どれも、きれいな幸福物語に収まらないで、
そのまま、どうしようもないまま・・・
永遠に海辺に座っている最後の場面のような状態です。
最後の場面。
ずーーっと海岸で、もと大学教師の青年が座っているだけの場面。
トルコだと、映画館では、終わりの音楽が鳴り始めると、みな、帰ってしまいます。
日本だと、電気がつくまで、誰も帰らない。
不覚にも、この、最後の座っているだけの場面で、少し居眠りをして、すぐ目が覚めました。
まだ同じ場面だった。。。
数々の賞をもらったこの作品。
私が分かるには、もっと何回も見る必要があるかな。
それとも、こういう(すっきりと片付けられないところがいい)映画なのかな。
日本でトルコ映画を映画館で観たのは、はじめて。
トルコの映画館では同じ作品を見ていました。そのとき、よく分からなかったので、
今度はトルコ語ではなく、日本語で見れるということで、とても楽しみにしていました。
????
見終わった感想です(笑)
分からなかったのは、言葉の問題だけではなかったようです。
生きたトルコ語を聞いたり、トルコの景色を見るのは、久しぶりでインパクトがありました。
印象に残ったのは、
反政府運動をしている女の子たちのアパートの一室に、警察が踏み込み、パトカーに連れられて行くとき、「私の名前は・・・。自由を」と大きな声で自分の名前を叫び、パトカーに入っていったこと。
それを、露地で見ていた野次馬の人たちが、その行為に拍手を浴びせていることでした。
いろんな政治背景や歴史などが分かるともっと分かる映画なのかもしれません。
物語は、ドイツで始まります。トルコ人娼婦のところへ、トルコ人の男性老人が訪れます。
何回か通った後、「あなたの稼ぎと同じだけの月給を僕が払うから、うちに来ないか?」と彼女に声をかけます。
この娼婦は、家に来ますが、次の日、老人が殴ったことにより、死んでしまいます。
この老人には息子が一人、ドイツの大学で教授をしています。
彼は、この娼婦から、「娘が一人いて、彼女がトルコで勉強中であること、そして、彼女に勉強させるために、自分は、靴やで働いているとうそをついて、娼婦をやって稼いでいる」と聞いています。
この娼婦の死後、大学教授の職を辞し、
イスタンブールに行き、その娘を見つけ出し、経済的な援助しようと考えます。
イスタンブールを歩いているとき、ドイツの書籍を扱う本屋を見つけ、買い取ることにします。
そして、ある日、休暇をとって、父の故郷、トラブゾンへ。父が来ているかもしれないと思ったようです。
その海岸の砂浜に腰を下ろし、長い間座ったままの場面でこの映画は終わります。
並行して、もうひとつの物語が流れています。
この娼婦の娘の物語です。
彼女は、イスタンブールで、反政府運動に加わっています。「貧しいものにも教育を 」と訴えかけています。ところが、仲間がつかまり、ドイツへ亡命します。
ドイツで、大学の食堂が一番安く食べられるからと、大学(この大学は、さきほどの息子が教授をしている大学です)に潜り込んでいます。そこで声をかけて女の子と友達に。(友達以上、同性愛)
ドイツの靴やで働いているお母さんを見つけようと探しますが見つけることができません。
そうこうしているうちに、見つかって、政治犯としてつかまります。
捕まっているところへ面会に来た大学で知り合ったさっきの女の子に
「隠していた銃を取り出して、仲間に渡す役目」をお願いします。ところが、手に入れた銃の入ったかばんをストリートチュルドレンに奪われ、その子らの一人に撃たれて死んでしまいます。
彼女の死後、この女の子のお母さんは、イスタンブールにやってきます。そして、彼(大学教授)の本やを訪れ、トラブゾンに行くために休暇ととっている間、この本やで番をしているというめぐりあわせがあります。
ちょっとのところで、重なり合うはずの運命が少しずつ、ずれることによって、すれ違い、
別々の人生を生きています。
そして、2組の、トルコ人親子。
ドイツに住む父子。お父さんは、子供のためならなんでもというくらい愛している。でも、かみ合わない。
娼婦を殴って殺してしまったお父さんを、認められなかったり、どこかでは認めていたり。
そして、いつまでも、トラブゾンの浜辺にいる。
ドイツで娘のために娼婦をやる女性。その女性の娘は、「貧しい人に教育を」と、社会運動をして、逃げている。娘も母も、お互いに会いたがっている。でも、会えないまま、お母さんは死んでしまった。
この映画、どこも、どれも、きれいな幸福物語に収まらないで、
そのまま、どうしようもないまま・・・
永遠に海辺に座っている最後の場面のような状態です。
最後の場面。
ずーーっと海岸で、もと大学教師の青年が座っているだけの場面。
トルコだと、映画館では、終わりの音楽が鳴り始めると、みな、帰ってしまいます。
日本だと、電気がつくまで、誰も帰らない。
不覚にも、この、最後の座っているだけの場面で、少し居眠りをして、すぐ目が覚めました。
まだ同じ場面だった。。。
数々の賞をもらったこの作品。
私が分かるには、もっと何回も見る必要があるかな。
それとも、こういう(すっきりと片付けられないところがいい)映画なのかな。
ラベル: 映画
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