2009年5月26日火曜日

 

直訳では理解しきれない外国語

中山 美穂さんの「なぜなら そこに やさしいまちが あったから」(集英社)という本を読みました。
妹が貸してくれて。
考え方が謙虚で、心地よい雰囲気が伝わる本でした。
フランスに2003年夏から、住んでいるそうです。そのとき、一人息子さんはおなかの中で5か月だったそうです。
フランスに住んでいるということで、ちょっとした異文化体験も載っていました。
私が、ああ、と、トルコに住んでいたから、分かる気がするなと感じた箇所を引用します。

poliment 丁寧に (196P)より
 ある日、カフェでグラスの水をこぼし、洋服が水浸しになりました。幸いグラスは割れませんでしたが、「ごめんなさい」と言った私に対して、お店の人は「何がごめんなさいなの?あなたのため?」と言っていました。通っている刺繍学校で、さし方を間違ってしまい、「ごめんなさい、間違えました!」と言ったとき、先生は「なぜ謝るの?あなたのものでしょう?」と返しました。日本の感覚で言う、謙遜語や謙譲語、丁寧語を決して直訳して言葉を発してはいけないと気がつきました。
 よく考えてみれば 当たり前のことで、意味もなく謝ったり笑ったりすることは、フランス人にとって信用できない人物になってしまうのです。どうりで私は今まで相手に対して、(何だ、その態度は!)と悶々としていたわけです。・・・・

直訳では理解できないというのは、わかります。
妙に、話している人物像と状況と、発している言葉がマッチしないことってあるのです。

たとえば、私は、何かプレゼントをしたとき、
「ゲレッキ ヨクトゥ」と言われると、ちょっとドキっとしてしまうことがありました。
直訳すると、「必要なかった」になります。
日本語よりきっと、もっと意味が軽い、意味がなくなっている言葉なんだろうなと思います。
日本だったら、
プレゼントしてもらって、「必要なかった」とは、そんなに言わない かな。
「お気遣いなく」という方が言うかな。
なんとなく、なれた雰囲気というのがあるから、直訳で理解しようとすると、ぎょぇ!っていうことがあるのでしょう。

「ごめんなさい」についていえば、
私は、今だに、「クスラ バクマ」 と、すんなり言うことができません。
直訳すると「欠点を見ないで」という言葉です。
「ごめん」の中のある種類の「ごめん」のときに使うのだろうと理解しています。

自分が言うときは、あってるのかな?この場にふさわしいかな、とどきまぎしてしまいます。
それでも、「ちょっと悪かったかな?悪気はないんやけどなーー」っていうときに、トルコ語で他に言いようがなくて、どうしても使いたくなって、不安な気持ち満々(!)で使っています。

「表面の意味ではなく、その奥の本質の意味を理解することが大切だと感じた」 というようなことを、中山美穂さんも他のところで述べられていたと思います。

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