2008年9月5日金曜日

 

飛んでイスタンブール

飛んでイスタンブール
庄野 真代

初めて全曲、聞くこととなった。
windows media player の morawin(モーラウィン)というところで、200円で購入。
「飛んでイスタンブール 光る砂漠でロール 夜だけのパラダイス。」


第29回NHK紅白歌合戦で、庄野 真代さんが歌ったそうだ。
私が、トルコに行くことになったというと、この歌の話をする人が多かった。

ウィキペディアで見つけた解説がちょっと私には興味深かった。


異国情緒が受けた時代で、イスタンブールの日本における知名度をあげた歌であったが、
今のようなインターネットもない時代だったので、
トルコと関係ない砂漠が登場したりして、この曲を歌った方も、歌がはやった2年後にイスタンブールを訪れて、あまりのイメージの違いに驚いたという。。


さもありなん。と思う。

私もトルコに行く前は、イスタンブールというと、なぜか、失恋旅行のイメージがあった。
何のイメージかな?
とっても暑いところで、壺とか頭に載せて歩いていたりして・・なんて、友達に言ってちゃかしていた。(ごめんなさい。)・・・注 そんなことは、ありません。

暑い国というイメージとは違い、実際のトルコの気候は、日本と気候もほとんど変わらなかった。

ウィキペディアを以下にそのまま載せてみます。(緑の字の部分)

本作は失恋した女性のセンチメンタル・ジャーニーを描いた歌だが、歌詞の中にトルコイスタンブール(イスタンブル)とは地理学上まったく無関係な「砂漠」が登場している。庄野は、ヒットから2年後の1980年に、イスタンブールを初めて訪れたが、歌にある砂漠のエキゾチックなイメージと実際のトルコの風景がまったく違うことを知った。そのときの様子を

ギリシアから長距離バスで到着したイスタンブールは、なんと、雪が舞っていた。しかも湿度が高い。今のようにインターネットで情報を収集して出かける時代ではなかったし、"エキゾチック"と"雪"は全くマッチしないから、この気候には驚いた。

—庄野真代「歌から始まった出会い」[1]
と述べている。
本作が大ヒットした当時は、日本人にとって海外旅行がようやく身近なものになり、また、
平尾昌章&畑中葉子カナダからの手紙』、久保田早紀異邦人』、ジュディ・オング魅せられて (歌謡曲)』もヒットしていて、本作も「海外旅情」や(『異邦人』と同じく)「無国籍ポップス」の流行の最先端の1曲だった。
本作の大ヒットにより日本におけるイスタンブールの知名度は飛躍的に上がり、日本人にとって「トルコといえば『飛んでイスタンブール』」と云われるほどトルコで一番有名な都市、地名となった。
当時は日本からイスタンブールへの直行便はなく、簡単に「飛んでイスタンブール」というわけにはいかなかったが、今では日本 - トルコ間(
成田国際空港および関西国際空港 - イスタンブール・アタテュルク国際空港)にトルコ航空便が就航していて、まさにこの題名のようにトルコを訪れる日本人観光客が増えている。(ウィキペディアより)

近くなったと言っても、
関西国際空港からイスタンブールへの直行便は毎日は出ていないし(週2便か3便だと思う。)
13時間飛行機に載っていないといけない。経由便だとさらにかかる。
時差も6,7時間ある。
せめて、トルコとの距離が半分だったら、日本にとってトルコは、もっと身近な国になるのになあと何度となく思った。
でも、遠いからこそ、異国情緒感じるおもしろい、魅力的な旅で人気もあるのかもしれないね。

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