2007年8月25日土曜日

 

ベイレルベイ宮殿

ベイレルベイ宮殿に行ってきました。こじんまりとしていて、ドルマバフチェの10分の1の広さだそうです。夏の家なので、暖炉やストーブはなくて、代わりに、床に湿気をとるござ(むしろ)が敷いてあります。当時のものそのままなので、踏まないようにと最初に注意がありました。
執務などの部分と、ハレム、つまり、住居部分と2つに分かれています。天井に船の絵が多かったです。そして、やっぱりかわいらしいお花の絵も多かったです。

「昔はテレビなどもなかったから、寝室で皆でおしゃべりをして過ごしたり、そういうことも、けっこうあったんですよ。」案内人(トルコ語と英語があります)の人が、そう語っていたのが、興味深かったです。かならず、案内人と回らないといけません。
また、「洋式トイレが始まったのは、第2次大戦後、体に障害のある人が増えて、トルコ式(和式に似ています)だと、困る人が多かったからで、洋式トイレの歴史は案外、浅いんですよ。」という話も聞かせてくれました。

 私の好きな、ニシャンヤン夫婦の著書のベイレルベイ宮殿の部分を、訳しました。

ベイレルベイ宮殿
オスマン王朝は宮殿の宝石。
ドルマバフチェほど無作法にけばけばしくない。
しかし、細部はよりよさがたくさんある。集中的に。
主な作品。
1. 木造の応接間のマルキョトリ洋式
2. 舞踏会の部屋の大理石の池
3. ダマスカス細工のコクタンの戸棚
4. マーヴィ・スカグルオの円柱
5. 船着場の上の東洋風の2つのあずま屋 

アヴドゥルアジズが、1860年代に建築家サルキスとバルヤン一族に作らせた。装飾のエジプト洋式は、その年代の政治的な、また財政的は実情に合わせて作られている。
 エジプトの提督のイスマイル宰相は財布の紐を緩めた。イスタンブールの世話役、アプラハム宰相がお金を必要な場所に配った。その余ったお金でベイオウルの半分を買った。

大サロンにある馬に乗ったアヴドゥルアジズの像はおそらく、オスマン帝国のスルタンが生きているうちに作らせた初めてで、唯一の記念碑だろう。1871年にここに設置された。オスマン帝国の近代化の忘れられている1つのシンボルである。
 革命で退位したアヴドゥルハミットは1912年から1918年に死ぬまでここで監禁された。外部との連絡が切れて大工のアトリエで働いた。
 一時、アタテュルクも住んだようだ。
 夏の住居なので、暖房設備はない。

Herkesin Bilmediği Olağanüstü Yerler

Sevan NİŞANYAN
Müjde NİŞANYAN

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